内容説明
独自の倫理と美意識で自らの戦中戦後を描いた私小説家・洲之内徹のすべて。
目次
小説(鳶;流氓;棗の木の下 ほか)
小説全集あとがき ほか(著者あいさつ;作品ノート;『棗の木の下』あとがき(現代書房版))
評論・エッセイ・小説―文学と気まぐれ美術館のあいだ(批評精神と批評家根性と;『肉体の罪』に就て;悪人を描くことその他 ほか)
著者等紹介
洲之内徹[スノウチトオル]
1913‐1987。愛媛県松山市生まれ。昭和5(1930)年東京美術学校(現東京藝術大学)建築科在学中、マルクス主義に共感し左翼運動に参加する。大学3年時に特高に検挙され美術学校を退学。郷里で活動を続けるが、20歳の秋に再検挙にあい、獄中生活を送る。釈放後、転向仲間と同人誌『記録』を発刊、精力的に文芸評論を発表した。昭和13(1938)年、北支方面軍宣撫班要員として中国に渡り、特務機関を経て、共産軍の情報収集の仕事に携わった。昭和21(1946)年、33歳で帰国してから50代半ばまでの約20年間、小説を執筆。最初の小説「鳶」が第一回横光一賞候補となり、その後「棗の木の下」「砂」「終りの夏」で三度芥川賞候補となるが、いずれも落選。昭和35(1960)年より、田村泰次郎の現代画廊を引き継ぎ画廊主となる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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100名山
2
洲之内徹は3度の芥輪賞候補に挙がりながら、落選した作家です。 書評論評には洲之内は自分さえよければよいと考える人物であるとか、作中の主人公も戦争には批判的ではないとか、非人道的であるとか書かれています。当時の価値観をなんら修正装飾することなく表した、非常に稀な文学作品だと思います。今の価値観では非難を免れない主人公の考えと行動をそのまま描写した作品で、当時を恥じ、または我々は戦争に反対していたのだと白を切る文壇にに許容されないのは当然だと思います。33歳頃から80歳近くで亡くなる年まで書かれた文章です。 2015/04/03




