芸術とマルチチュード

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  • サイズ B40判/ページ数 235p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784901477314
  • NDC分類 704
  • Cコード C0010

内容説明

芸術は人間の全運動を先取りする。芸術とは、構成する力であり、革命の力なのだ。芸術を通してこそ、人間解放の集団的権能は自らの運命をあらかじめ描き出す。美の生産者たちからなるマルチチュードの運動、それこそがコミュニズムである。芸術と運動、美と革命を結ぶ、マルチチュードの可能性。

目次

マリー=マグドレーヌへの手紙―生政治について(二〇〇一年一二月一五日)
ラウルへの手紙―身体について(一九九九年一二月一五日)
一九八八年に書かれた手紙について(二〇〇四年五月)
ジャンマルコへの手紙―抽象的なものについて(一九八八年一二月一日)
カルロへの手紙―ポスト近代について(一九八八年一二月五日)
ジョルジョへの手紙―崇高について(一九八八年一二月七日)
マンフレードへの手紙―集団的労働について(一九八八年一二月一〇日)
マッシモへの手紙―美について(一九八八年一二月一五日)
ナンニへの手紙―構成することについて(一九八八年一二月一八日)
シルヴァーノへの手紙―出来事について(一九八八年一二月二四日)
補遺1 トニへの手紙―『芸術とマルチチュード』について(ラウル・サンチェス)
補遺2 トニ・ネグリとは誰か(マイケル・ハート)

著者等紹介

ネグリ,トニ[ネグリ,トニ][Negri,Toni]
1933年、パドヴァ生まれ。イタリアの思想家、活動家

廣瀬純[ヒロセジュン]
1971年、東京生まれ。1997年、早稲田大学大学院文学研究科修士課程(芸術学)修了。1999年、パリ第三大学映画視聴覚研究科DEA課程修了。現在、龍谷大学経営学部専任講師、仏・映画批評誌「VERTIGO」(ed.Capricci)編集委員

榊原達哉[サカキバラタツヤ]
1967年、名古屋生まれ。2001年、同志社大学大学院文学研究科博士課程後期哲学専攻満期退学。2001年、ストラスブール大学DEA課程修了。徳島文理大学助教授。哲学専攻

立木康介[ツイキコウスケ]
1968年、東京生まれ。1999年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程満期退学。現在、同研究科助手。精神分析学博士(パリ第8大学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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うえ

7
「バークが、次いでカントが、文献学の蜘蛛の巣からそれを引き抜くことによって、崇高という範疇を再発見したとき、彼らは二種類の崇高があると規定した。ひとつは、自然的崇高。これは、自然の荘厳な景観によって出現するものであり、感性的な魂に畏怖の念を起こさせるものだ。そしてもうひとつは、数学的崇高。こちらは、数学的な無際限=無限のスペクタクルのことであり、理性的な魂を畏怖させる知的ショックのことだ。ところで、バークとカントはまた、魂のこれらの大きなエモーションが想像力の解放を準備するものでもあると…説明している」2019/08/01

アルゴス

0
ネグリは生産と創造の力を重視する。人々の間で生まれる共同性は、言語の表現や芸術的な表現において、確証され、発展するからだ。「生産と言語がなむれば芸術はない」(119)のである。存在することの喜びは、何よりもそれが表現されることを求める。この観点からすると、芸術の様式は、労働と生産の様式と密接な結びつきを備えていることになる。「リアリズムの時代、これは熟練工が革命的闘争を自分のものとした時代に相当する」(120)というように。この歴史的な対応をさらに発展させるとどうなるか。芸術史についての新たな視点だ。2017/12/07

loomer

0
レポートの為に手に取る。理解力は到底及ばなかったが、あとがきに「ネグリの著作すべてのなかで、疑う余地なく、もっとも強力に、もっともダイレクトに、そしてもっとも簡潔に、ぼくたちを革命へと導く著作である。」とある通り、アツさは伝わってくる。特に「抽象的なものについて」においてはもはや芸術は「自然」を観照の対象にした再構築ではなく、もはや私たちの構成するもの自体が新たな「自然」になるのだと著者は述べているのが印象的だった。2013/09/08

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