チェルノブイリからの伝言―NGO活動10年の軌跡と21世紀への展望

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ 46判/ページ数 153p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784900918337
  • NDC分類 543.5
  • Cコード C0036

出版社内容情報

JCF・日本チェルノブイリ連帯基金(長野県松本市、理事長・鎌田實)は、今年10年目を迎えたNGO団体。チェルノブイリへの医療支援を中心に、多角的・継続的に支援活動をつづけてきた。チェルノブイリ事故勃発以来、原発の放射能漏れ事故や東海村臨界事故など、日本でも次々に原発事故が起き「自分ごと」として原発への危機感がつのっている。本書では、医療支援の実務を担ってきた信州大学医学部のスタッフの証言をはじめ、高木仁三郎(原子力情報資料室理事)、本橋成一(映画「ナージャの村」監督)、小室等(JCF理事・歌手)など、JCFの活動をさまざまな面から支えてきた面々の10年間の軌跡、そしてこれからへの提言を集大成した。原子力とどのように向き合えばいいか。今や世界を動かしつつあるNGOという潮流をどう考えればいいか。実績と実力のあるJCFが総力を結集してまとめ上げた現代人必読の書。

[はじめに]一人の子どもの涙はすべての人類の悲しみよりも重い
/鎌田 實 JCF理事長・諏訪中央病院院長

1. 1986年〈4月26日〉の原点から… チェルノブイリの悲しみと向き合って
それは、1991年の4人の旅から始まった……。
日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)設立から3年目の軌跡をたどり、
ボランティアとは何か、いのちとは何か……。
NGOの原点を模索する熱い会話が繰り広げられた。
座談会 あれから3年 市民活動の限界を超えて…〈1994年『グランドゼロ』no.11より〉 
  鎌田 實 JCF理事長・諏訪中央病院院長
  吉永 宏 JCF理事・YMCA同盟広報室長 
  高橋卓志 JCF事務局長/神宮寺住職   司会・竹内万美子(JCF事務局)

2. いのちの連鎖を求めて ベラルーシからのメッセージ
8000キロ離れたベラルーシからの小さな声に人々が耳を傾ける時、
小さな声がささやかな力となってやがて大きなネットワークを結んでゆく……。
 タチアナ・ショウミヒナ ゴメリ州立病院・小児血液病棟主任
  時が流れ状況が変わっても、私たちは友達です
 ミハイル・ボカチェンコ ゴメリ州立病院・移植部主任
  日本(信州CF事務局 通信衛星による遠隔地医療    
 金井 貞徳 JCF理事・松商学園教諭 母親の死が教えてくれたこと  
 倉科 憲治 JCF理事・信州大学歯科口腔外科学教室教授 NGOにとって医療支援とは何か  
 廣浦  学 JCF理事・諏訪中央病院臨床工学科技師 継続する志とネットワーク  
 阿木 幸男 JCF理事・河合塾英語教師 僕のNGO論〈いくつかの疑問に答えて〉

5. 天国はいらない故郷を与えよ 映画「ナージャの村」が残したもの
時として、1葉の写真から全存在が揺すぶられることがある。
時として、1本の映画から失ったものが見えてくることがある。
カメラマン・本橋成一、筑豊からチェルノブイリへの30年間の眼差しの行方に、
人と大地といのちの営みが見えてくる……。
 本橋成一 JCF理事・写真家・映画監督
  チャイコバーバの悲しみ〈ぼくが「ナージャの村」を撮ったわけ〉  

6. 奪われし未来から… 科学者が検証したチェルノブイリ事故・東海村臨界事故
「これは、ぼくの遺言と思って下さい……」と、高木仁三郎さんは言われた。
病をおして私たちのインタビューに一語一語を噛みしめるように、高木さ

[はじめに]一人の子どもの涙はすべての人類の悲しみよりも重い
/鎌田 實 JCF理事長・諏訪中央病院院長
 1990年に、旧ソ連のマリーナという女性が、白血病の子供をぼくの勤務している諏訪中央病院で治療して欲しいと訪ねてきた。それ以前にも、彼女は東京の大きな大学病院を幾つか訪ねて、ロシアの子供たちを助けて欲しいと訴えてきたらしい。
 当時のソ連は、まだ共産党の一党独裁体制の時代であり、日本との関係も決して良好とは言えなかった。そのことが原因していたのか、東京の大きな大学病院では、ことごとくマリーナのチェルノブイリの子供たちを救って欲しいという訴えは、退けられたのである。そんなときマリーナは、ある大学病院の医師から、「長野県の諏訪中央病院へ行けば何とかしてくれるのではないか」と、言われたという。
 諏訪中央病院は、〈日本の中でも特色のある地域医療を展開していて、困っている人は、あそこへ行けば助けてくれるだろ〉と思われていたようである。当時のぼくは、病院内の改革と同時に、自分たちの理想とする地域医療の模索と実践を繰り返しており、日々多忙を極めていた。マリーナから、「チェルノブイリの子供を助けて欲しい」と要請があ続けられてきたことの根底には、そういったセンチメンタルな心情が流れていたことも事実である。それは、人がパンのみに生きられないことの証しでもあるようにも思えるのだが。
 91年、とうとうぼくはロシアの大地に足を踏み入れた。しかし、その時に至っても、まだぼくの中では、チェルノブイリを支援しようとは思っていなかった。そんなぼくのかたくなな気持を大きく変えた出来事があった。
 モスクワの科学アカデミーのヒトロフ教授のところを訪問した時のことである。ヒトロフ教授は、共産党がソ連を一党支配している時代に、ぼくたち日本人が初めて訪ねて行ったにもかかわらず、チェルノブイリで起きた惨状を、ありのままに情報公開してくれたのである。KGBが大手を振っているこの国で、これほどまでに手の内を証してくれたヒトロフ教授の真摯な勇気に、ぼくはある種の感動をもって聞いていた。そのとき、もしかするとこの国は変わり始めるのかなとも思った。
 ヒトロフは、一番汚染が激しいチェチェルスクという町の名前を告げ・・外国の支援が一つも入っていない大変な汚染地帯へ行って欲しい。ぜひチェチェルスクを見て欲しい・・と言ったのである。
 ヒトロフの同僚のグズネ

高木仁三郎氏(原子力資料情報室理事・故人)……本文より
日本の問題とかソ連の問題とかではなく、人類が科学技術とどう向き合っていくのか、いわば一つの世紀を貫くような課題として、そこから教訓を引き出して学んでいかないといけないのではないかという気がします。

内容説明

忘れてはいけないことがある。1986年4月26日チェルノブイリ原発事故。20世紀の“負の遺産”を“明日の糧”とするために私たちは子や孫に語り続ける、いのちの連帯を求めて…。

目次

1 1986年“4月26日”の原点から…―チェルノブイリの悲しみと向き合って
2 いのちの連鎖を求めて―ベラルーシからのメッセージ
3 響と影 豊穣の大地とはかりあえるほどに…
4 インタビュー&インタビュー 私とチェルノブイリ
5 天国はいらない故郷を与えよ―映画「ナージャの村」が残したもの
6 奪われし未来から…―科学者が検証したチェルノブイリ事故・東海村臨界事故