和子―アルツハイマー病の妻と生きる

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和子―アルツハイマー病の妻と生きる

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  • サイズ B6判/ページ数 287p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784900541429
  • NDC分類 916
  • Cコード C0095

出版社内容情報

「覚悟してください」。そう医師に宣告され、夫自ら手探りのケアを続けて早10年。アルツハイマー病に冒された妻・和子は、晴れた日に散歩を楽しむなど、今も元気で穏やかな日々を送る…。元高校教師の著者が、教え子たちに励まされながら綴った、渾身のケアレポート!


プロローグ 覚悟してください
◎第一部 ケアレポート
札幌を離れるまで/地理を全く覚えられない/“アルツハイマー中期症状”と診断される/手探りのケア/私、どこも悪くないのに/病気の進行はケア次第/二度目の海外旅行/“貯金”をなくさないことが肝心/秋の日はつるべ落とし/終の住処
◎第二部 チュー太の介護日記――和子と私
[1996年] 2月21日◆おそらく“幼児がえり”の一種/3月21日◆若年性アルツハイマーの典型的症状/6月21日◆夕方症候群/8月4日◆今がいちばん辛い時期/10月27日◆“鬱”と食欲不振の悪循環/12月8日◆裸足で雪道を歩く(事故報告)
[1997年] 2月22日◆夜ほとんど眠らず、乱暴になる/3月8日◆今は第3期の終わりごろ/6月9日◆字を書くことは全くできなくなった/10月1日◆温泉付きデイサービスに週四回通う/11月8日◆私、キュリー夫人のようにやりたかった
[1998年] 3月22日◆知らない曲を一度で覚える/6月20日◆おだやかな笑顔が戻る/11月10日◆食事から排泄までほぼ全介助状態に
[1999年] 2月20日◆和子の歌は“神様の贈り物”/5月3日◆抱きしめて、心の嵐が過ぎ去るのを待つ/7月24」/8月15日◆四年ぶりに和子と音楽会へ/8月24日◆実り多き夏の終わりに/10月1日◆豊穣の秋を迎えて、自分の足で歩きだす/10月21日◆若年性痴呆の平均余命を満たしても和子は元気/11月21日◆希望を持って生きていこう

◎第三部 チュー太もの申す――介護日記に書けなかった“言いたいこと”
 ◆日本の状況はお寒い限り◆本人には聞こえている◆これは“人間の国”か◆「呆け」という言 葉◆“バリアフリー”あるいは“ユニバーサル”について◆『午後の遺言状』について日◆福 祉現場で飛び交う“ぞんざい言葉”◆“嫌音権”と“人権教育”について◆障害者の「肖像権」
エピローグ アルツハイマー病と「告知」
著者略歴/主人公略歴

1992年12月、東京の総合病院で、私の妻である和子は 「若年性アルツハイマー病」 と診断された。医師から「覚悟してください」と言われても、その時の私は「覚悟」が具体的にどのようなものであるのかを知らなかった。診断の翌日から、私の和子への手探りによるケアの毎日が始まった。(本書「プロローグ」より)

長年にわたって教員を務めた著者が、教え子の一言から妻の介護をレポートするようになりました。本書は1996年から現在まで書きつづけられているそのレポートをまとめたものです。定年を目前に控えたある日、妻が若年性アルツハイマー病に冒されていることを医師に告げられる…こんなショッキングな出来事から始まり、自ら妻の介護をすることを決意した著者が、それからの苦難と喜びの日々を綴っていきます。妻への愛情と慈しみの心あふれるこのケアレポートは、単なる介護日記を越えて、読む者にさまざまな問いかけを発します。介護ビジネスの現場で著者が直面した多くの問題は、ひとごとではありません。また、実際に自分がその立場に立った時、配偶者に対していったいどんな振る舞いをできるだろうかという自問…。その後、著者の献身的な努力で、和子さんは従来考えられなかったような回復を遂げます。その姿に、そして夫婦の絆の深さに、明日への希望が見えてくるはずです

内容説明

覚悟してください!!―そう医師に宣告され、夫の手探りケアで十年。妻・和子は、晴れた日には散歩を楽しみ、今も元気で穏やかな日々を送る―。元高校教師が、教え子たちに励まされながら綴った、渾身のケアレポート。

目次

第1部 ケアレポート(札幌を離れるまで;地理を全く覚えられない;“アルツハイマー病中期症状”と診断される ほか)
第2部 チュー太の介護日記―和子と私(1996年;1997年;1998年 ほか)
第3部 チュー太もの申す(1999年;2000年;2001年)

著者等紹介

後藤治[ゴトウオサム]
1930年6月、北海道岩美沢町(現在の岩見沢市)鉄道診療所官舎で生まれる。父は勤務医。49年3月、県立大垣工業学校電気通信科を卒業したが就職口が全くなく、同年4月にそのまま新制工業高校三年生に移行、50年3月、県立大垣工業高等学校電気通信科を卒業。同年2月、岐阜電話局に就職(卒業前の繰り上げ採用)。52年6月、同局を退職。53年4月、北海道大学(理類)に入学、57年3月、理学部地球物理学科卒業。57年4月、北海道立浦河高等学校に就職(教諭)、教員免許証は理科で物理と地学、それに免許外の数学を担当。62年4月、道立美唄南高等学校に転勤。この学校は実業高校で、免許外の数学だけを担当。ここで音楽教師の高橋和子と出会う。64年4月に結婚。和子は、長男・長女が生まれたあと、91年9月、病を得て退職。92年3月、東京都田無市に転居。同年6月、和子が東京で行方不明になり、同11月、アルツハイマー病中期症状と診断される。94年3月、価格の安い“終の住処”を探して小樽市郊外のマンションを購入、転居して現在に至る
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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