内容説明
建築家は何をのこせるか。世界各地の建築設計の場で出会い、火花を散らした人たち、濃密な時間を刻印し、惜しまれながら逝った人たち、そんな記憶の残像を創作の糧としながら、イソザキアラタは今日も地球を歩きまわる。
目次
建築家はなぜそこにいったか
建築すること、記憶すること
あなたはいまどこにいるのか
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
kthyk
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「後世に伝える仕事は数々の芸術領域で試みられている。その中でひとつだけ失語症に陥った領域であるのが建築」。75年に「建築の解体」を書き、現代建築の解体状況を予測。1991年からの一連のAny(決定不可能性)会議で建築が姿を消そうとしている状況、「建築することの悲劇」を確認している。その翌年は9.11。高密度・高エネルギー・高層建築の崩壊。会議も崩落も対極は原理主義と後期資本主義。あとがきは印象的。建築は挽歌ではなく”挽歌のような建築”も可能ではないか。そしてこの言葉こそ「私が受け取った最高のおくりもの」。2021/07/28




