内容説明
結核が「死に至る病」として恐れられていたころ、日本でそれとのたたかいの最前線に立っていた医師。昭和9年、近衛文麿の訪米に同行して以来、その非業の死までそばにつかえていた医師。岡西順二郎が娘に遺した昭和20年前後の記録。
目次
1 軍医予備員として教育召集―昭和19年10月28日~12月30日(連日の空襲警報;「東部第六二部隊ニ入隊スベシ」 ほか)
2 空襲下の生活―昭和20年1月1日~3月22日(近衛公からの往診依頼;宙に浮く青島赴任 ほか)
3 倉敷への疎開―昭和20年3月24日~8月15日(倉敷に出発;自宅焼失 ほか)
4 敗戦の衝撃―昭和20年8月17日~12月17日(米軍進駐、マッカーサー来日;ミズーリ艦上で降伏調印 ほか)
5 新しい暮らし、新しい仕事―昭和21年1月1日~昭和23年2月16日(家族とともに東京へ;預金封鎖、新円切替え ほか)
著者等紹介
岡西雅子[オカニシマサコ]
1944年東京に生まれる。1956年日本キリスト教団和泉教会にて受洗。1957年立教女学院に入学。1961年膠原病(皮膚筋炎)発病。以降、自宅療養生活をおくる。1982年療養者文芸賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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