内容説明
日本には多くの「忘れられた子どもたち」がいた。土に沁み、海に落とした“母の涙・子の涙”を見てゆく。
目次
母親の心
子に生きる
母の悲願
間引きと堕胎
子どもを守る
もらい子聞書
情島・梶子と精薄児
萩の花
母の記
著者等紹介
宮本常一[ミヤモトツネイチ]
1907年、山口県周防大島生まれ。大阪府立天王寺師範学校専攻科地理学専攻卒業。民俗学者。日本観光文化研究所所長、武蔵野美術大学教授、日本常民文化研究所理事などを務める。1981年没。同年勲三等瑞宝章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Akihiro Nishio
29
明治から昭和にかけての子供達の様子、間引きや貰い子の実態を描く。間引きの章はいたたまれなかったが、貰い子については今よりあっけらかんとした面もあり、現代だって、子育てに困った家庭は他人を頼っても良いのにと思った。切ないのは、伊予から貧しい家庭の子供を引き取っていた周防の島の話。戦後の戦災孤児を同じように引き受けたら、これまでの貰い子と違って盗みを働き、適応することもなく死んでいったという話。親を助けるために自ら貰われてきた子供と、両親を失ったことを受け入れられない子供は同じではないということ。2017/07/21
シルク
15
物心ついた時から、自分は母親に連れられて、よく近くの「地蔵寺」に行った。自分には2人の姉があるけれど、その上に兄がいたのだ、その子は1歳にもならない内に死んだのだと、教えられたのはいつだっただろう。薄暗い寺の中は恐ろしく、読経する尼さんの、ぬるりとした後ろ姿も気味が悪く、読経に合わせて打たれる木魚の音もおどろおどろしかった。だけど「〇〇君(←兄)に会いに行くのよ」と毎月連れて行かれて、怖いけれども必死で母親の膝にしがみついて、泣かないようにしていた。兄のこと、その寺のことが、なんだかしきりに思い出された。2019/09/15
三平
13
昭和まで貧困は多くの庶民にとって身近だった。決して楽ではない暮らしの日々の中、日本人はどのような想いを子供に託したか。 そのような忘れ去られようとしている生活史を書きとめていた民俗学者宮本常一の文章を集めたアンソロジー。 医学も発達していない中、親たちはどのように子供を守ったのか、育児の方法や子守、願掛けの文化、そして生活を守る為にせざるをえなかった堕胎・間引き・捨て子・子売り・もらい子といった事柄まで実態を明らかにする。2017/06/24
スタンカ
2
地蔵が死んだ子の魂を守ってもらう為の信仰対象であった事を初めて知った。これから地蔵を見ると今まで以上に手を合わせようと思う。ただ昔に比べて地蔵を見る事が少なくなってしまった。2019/08/17
mogihideyuki
2
子どもにまつわる数々の習俗。なかでも子守に関することが興味深い。やはり両親とも農作業や漁に出る中で子どもを満足に見ることは不可能で、年少者が子守を務めていた。これは貧しい家から裕福な家へ奉公にいくというケースばかりではなく、女の子が8歳になるとどんな家でも必ずよその子守にいくという村もあった。そうしたことの難しい地域では「イジコ」や「エヅメ」と呼ばれる籠に入れておくほかなく、泣き喚いて乳を欲しがっても放っておくほかない悲しさを常一は嘆いている。2017/12/28