内容説明
ひとはいつ生まれ、いつ死ぬのか?問われるべきはこれだ。親が自分の子だと意識したときに生まれ、その人を知っている人がいなくなったとき死ぬのだ、となぜ単純に考えられないのか。ヒューマニズムを擬装する近代科学、そして「生命科学」や「生命倫理」―。その法学的でミクロな視線に偏った「死」をめぐる論議のなかで、私たちは、大切な「他者」を見失っている!「死」もまた巧みに隠され続ける現代にあって、「生」と「死」のあわいで、「死」もまたコミュニケーションであることを主張し、人間存在の意味を問い続ける哲学者・鷲田清一の達成点を見よ。
目次
第1章 死が、社会のものではなくなった
第2章 死のおぞましさと現代の社会
第3章 死と「私」の哲学
第4章 死の実相を探る
第5章 人称態という死の区分けは正しいか
終章 死は依然として隠されている
著者等紹介
鷲田清一[ワシダキヨカズ]
1949年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、大阪大学大学院文学研究科教授。専門は哲学・倫理学
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感想・レビュー
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しゅんぺい(笑)
5
むー、わかったようでわからなかった本。 新書の体裁やけど、かなり硬質な文章でした。 鷲田さんの臨床哲学の本業はこういう話なんやろうな、と思いました。 生と死が日常生活から遠ざけられている、という本書の主題、そして人格をいろんな場によって変えていくというのは当然だ、という話が印象的でした。 鷲田さんの著書をもっと読んで感覚をつかんでから、またチャレンジしたい本です。2012/05/26
餅崎
1
「死」について、社会的な視点や哲学的な視点、認識的な視点など多方面からもう一度考え直そうとする本。現代社会の「死」の扱われ方に疑問を呈することから始まり、その思考は「死」の在り方や認識にまで及びます。 自分の「死」は自分だけのものじゃない、という考え方は大事にするべきだと感じました。2017/03/30
神瀬威彦
1
「死」とはなんなのか?それを知るにはまず、「死」について考えている「私」がどのような存在であるのかを知らなければならないということでしょうか。難解ですが、知的好奇心はそそられて仕方がありません。2013/07/31
時折
1
現代において「死」の実相をとらえようとしたとき、キーワードとなるのは、「他者性」と「身体性」。普通に死ぬことが、難しいというよりは、不可能になった時代の「死」を考えるための良書、かと。後半の展開はちょっとついていくのがしんどかったですけどね。2010/01/09
さく。
1
出版されたのはもう10年以上前になるが、鷲田さんの考察は現代にも通じる物が多い。