内容説明
90年代以降、韓国に起きた大きな文化的地殻変動―見慣れた風景はグローバル化の容赦ない波に飲み込まれ、人間味のない砂漠が出現しつつあるのだろうか?それとも、新時代の個性豊かな文化を創造する歩みが始まったのか?噴出するナショナリズムと文化革新のせめぎ合いは、日韓関係をいかなる方向に導いていくのか?スポーツ、映画、音楽、料理から民族問題や文化政策にいたる多彩なテーマを切り口にして、文化相対主義を越えた異文化理解の可能性を提示し、ダイナミックに読み解く韓国論の新たな地平。
目次
序章 豊かな日常の民族誌
第1章 スポーツ・ナショナリズムと韓国社会の明日
第2章 世代という断層―スーパースター“ソテジ”の遺産
第3章 ワイセツの政治学―『楽しいサラ』から『LIES/嘘』へ
第4章 なぜ日本の大衆文化は禁じられたか
第5章 ナショナリズムの逆説―民は移動し、族は根を張る
第6章 なぜ犬を食べてはいけないのか
終章 二つの文化観
著者等紹介
土佐昌樹[トサマサキ]
1958年愛知県生まれ。文化人類学専攻。韓国の宗教、大衆文化、ナショナリズムについてグローバルな視点から研究を進めている。大阪大学人間科学部大学院博士課程修了、同助手、釜山女子大学客員講師、ハーバード大学人類学科客員研究員、神田外語大学韓国語学科教授などを経て、現在国士舘大学21世紀アジア学部教授
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感想・レビュー
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MIRACLE
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韓国で90年代以降に進展した文化的な諸問題について、論じたエッセイ。具体的には、スポーツ(サッカー)、映画、歌(ソテジ)、小説、料理(犬食)、文化政策(日本文化解禁)、民族問題をあつかっている。筆者は、事実の認識(=調査)が不十分なまま、事実の・分析(=評価)をおこなっている。だから、韓国のナショナリズムを、サイボーグと名付ける、という思弁的な結論になってしまうのだろう。この種の話題を論じるには、とりあげる話題と、その過去と現在についての言及が、不可欠だと思う。残念な内容だった。2013/09/15