内容説明
なぜ我々は「人権」という美名の下に拝跪してしまうのか?世に人を黙らせる言葉がある。平和、民主主義、そして人権…。だが、それらははたして本当に正しいものなのか?巷に横行する愚昧な言論を嗤い、あらゆるタブーを排し、真実を口にしよう。「人権」は、裸の王様に過ぎない、と。二十世紀最大の迷信「人権」に真っ正面から挑む、「人権論の再構成」の試み。
目次
1 人権って何だ(二十世紀最大の迷信「人権」―「人権」跋扈し「人格」亡ぶ;形而上学としての人権思想)
2 人権論議のここがヘン(人権論の再構成―「被害者の人権」を中心に考え直す;実名報道こそが加害者の人権を認め更生を促す行為である;人権主義者のセカンド・レイプ)
3 それでも人権を信じるか(人権を疑う;裁判所は人権の砦ではない;人権は国家主権を超えられるか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Z
9
タイトル通り。人権はあくまで国家からの自由を保証するもの、かつそのために国家を縛るもの。基本的人権なり自然権など保証する審級がないと、権利意識の肥大化に警鐘をならす本。といっても話題は刑法が中心。上の指摘は歴史的に正しいと思うが、現代生活おくるうえで、ある程度社会権も保証される必要もあり(それの拡充が必要かは意見が分かれるとはいえ)、後から拡張された人権=社会権等が人権でないとは思わないし、必要ないものとも思わない。正直単眼的な思考のみ目についた。2019/07/30
リョウ
3
編者である宮崎哲弥の論考は素晴らしかった。問題点をきれいに指摘しているし、論理も冷静で分かりやすく、かなりの部分で同意できた。だだ、他の論者のものは、感情が先に出てしまったり、論理の飛躍があったり、雑多なことを挙げすぎて理解できなかったりするものばかりで、本全体としてはあまりお勧めできるものではないと思う。2010/09/06
in medio tutissimus ibis.
2
ヒトには固いものを握ったとき、それを隣のヒトに振り下ろす習性がある。親兄弟でも容赦はないし、固く凝ってさえいれば、石も、制度も、権利も、他のヒトの頭を叩き割る用に耐えればそれでいい様である。人間はヒトとして生まれるが、固いものをつかむのを忌避するようになったとき人間になる。どうしてもつかまなければならないときには、それをまずヒトの頭以外の固いものに振り下ろして小さく割るか、少し弄んで汗や唾液を含ませて或いは噛んで柔らかくするのである。ヒトは猿の一種なのでこの様な人間を見ると真似をする。こうして人間は増えた
さるぼぼキング
2
人権を掲げて叫ぶ人達を胡散臭く感じる理由が分かる。 絶対的な価値観として人権を持ち出すことの浅はかさがしれる。2014/08/21
夏野菜
2
再読。人権は普遍的事実ではなく、あくまでイデオロギーである。なぜなら人権の正当性は論理的に証明できないからである。当たり前と言えば当たり前だけど誰も教えてくれない事実が含まれている。2012/12/31