出版社内容情報
幕末から明治にかけての動乱期、時として奇人変人とさえ写る希代の改革者 山田方谷を、出来るだけ分かりやすく、一問一答形式で紹介した、山田方谷研究の入門として最適の書。
山田方谷に学ぶ会[ヤマダホウコクニマナブカイ]
著・文・その他
内容説明
この本では、方谷の生い立ち、学問・思想、藩政改革などの業績、教育者・詩人としての方谷、家庭、師や友人・弟子などについて、一問一答形式でできるだけ分かりやすく説明するように努めました。また、コーヒーブレイクとして、人間山田方谷の横顔やエピソードのほか、巻末には年表やゆかりの地のマップなども付け加えてみました。
目次
幼少年時代―方谷はどのように育ったのか
青年時代―方谷はどのように学んだのか
藩校学頭時代―方谷はどのように教えたのか
藩政改革時代―方谷はどのような改革をしたのか
幕政参与時代―方谷は藩主をどのように支えたのか
明治維新時代―方谷は藩の危機にどのように対応したのか
晩年―方谷はどのような教育をしたのか
方谷の漢詩
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
にいたけ
42
読書会課題本。幕末の備中松山藩の財政を立て直した山田方谷。わずか7年で10万両の負債を返しさらに10万両の蓄えを残した。その成果で藩主が江戸幕府の要職となりその顧問となる。大政奉還後、朝敵となってしまった備中松山藩を無血開城に導き、松山城下を戦火から救った。最後まで人間教育に力を注ぎ、明治10年に亡くなった。日本を変えた人達ばかりが有名になるが「義」に生きた方谷に学ぶことは多い。先ずは足元からだと思うのだ。 2021/11/14
井上裕紀男
26
江戸時代に備中松山藩(岡山県高梁市)を財政危機から救った山田氏を数々の方が執筆した異例の評伝。 朱子学・陽明学・禅を修めていて偏りが無く、尚且つ佐藤一斉の門下生で佐久間象山と渡りあったという逸話も。 1868年松山征伐の際も、民を救うというただ一点のみを見つめて、伊木若狭を相手に無血開城を成し遂げたことには嘆息します。 明治以後に政府で仕事をされたら今の日本は変わっていたのではと思ってしまいますが、要請も断られて後進育成に専念。教えを請われたお弟子さんが羨ましい。氏の足跡を今少し辿ってみたく思います。2021/07/18
いけぽん
2
上司に薦められて読んだ本。組織改革にはまず自分自身に私利私欲がないこと、目先の経営だけでなく教育などを大事にすることなど、参考になりそうだった。2013/12/26