出版社内容情報
実は山田方谷こそ大政奉還上奏文の起草者でもあった。彼の生きた激動の時代と社会を十分に視野に入れながら、知られざる秘話も紹介して、人間方谷の光と陰を余すことなく描いた感動の方谷伝。
矢吹 邦彦[ヤブキクニヒコ]
著・文・その他
内容説明
吉宗・鷹山の改革を凌ぐ見事な藩政改革を行った方谷。実は彼こそ大政奉還上奏文の起草者でもあった。信念を貫いた生涯、知られざる家庭生活と苦悩等、勝者の歴史に忘れられた人間方谷の光と陰を余すことなく描いた感動の力作。
目次
第1章 もとめるは陽明学
第2章 風塵の嵐「藩政改革」
第3章 幕末の政治顧問
第4章 明治維新―森の人方谷
1 ~ 2件/全2件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
BIN
6
備中松山藩で藩政改革を行った山田方谷。著者はその方谷の愛子小雪を養子とした矢吹久次郎の子孫。もともと百姓で才が認められて学校の先生、そして元締役となり藩政改革を成し遂げた偉人。もと百姓が藩政のトップに躍り出て蔑まされそうなものですが、同門の佐久間象山との論戦で鍛え上げられたであろう口論で論破したのだろう、きっと。河井継之助に関しても結構書かれていて、何より継之助が死んだ後の家族の無残な動向や方谷の思いとかが書かれているのが良かった。大政奉還上奏文の起草者であったのは知らなかった。良い伝記でした。2018/05/27
新父帰る
6
方谷の名前は磯田氏の本で知った。こんな凄い人がいたんだと感動。農民の出身でありながら小藩備中松山藩の藩政改革を見事に成し遂げて全国にその名を轟かせた人。陽明学の巨星佐藤一斎塾に入門して、頭角を現し塾頭に。同門の佐久間象山との論戦に一度も負けることなく論破。藩主板倉勝静に乞われて藩政改革に着手。後に長岡藩の河井継之助から師であり神であると言わしめた反骨の人。農民兵を組織し、後の高杉の奇兵隊の礎となった。維新後木戸に何度も乞われたが辞退。亡後、母の故郷に石碑が建ち、勝海舟が題辞を記す。身内には恵まれなかった。2018/02/04
Jackie
2
これまで不勉強で名前を知らなかった山田方谷さん。信念、知識、大局観を併せ持つ人だったようで、滅びゆく幕府に主が巻き込まれて行ってしまう時もぶれない姿勢で支えていた。大政奉還の原案作ったのか…すごい。味方だけではなく敵からも再三の招聘を受けるところがすごい。Googleマップを見ても、方谷さんの名前にちなんだ駅や場所が多くあるので本当に土地の人に愛されているんだろう。一度、備中高梁を訪れてみたいと思った。あとがきを読んで、著者の方があの矢吹久次郎さん(本書内で大活躍)の子孫の方だと知って驚いた(笑)。2024/09/18
だいん
2
幕末期、山田方谷の生涯を、本人が送った手紙や詩から読み解いている。今まで知らなかった方谷の偉大な功績と、自分の考えと向き合ってブレることのない彼の人間的な強さに、とても感心した。2019/12/01
えいちゃん
2
読むために、持ち歩くのに、こんなに重い本は、初めてだったかも。 ただ、分厚い割には、行間があり、読み進めやすかった。 感想として、結局、陽明学とはなんぞや?は、分からず(^o^;) でも、山田方谷という、陽明学者の偉大さに、驚いたし、もし明治維新時に、10歳若く、大蔵大臣として活躍していれば、もっと名を馳せただろうと思う。 でも、そんな人物じゃないからこそ、弱小藩の財政を立て直し、武装化出来たんだろう。 また、違った角度から、陽明学を学んでみたいし、方谷先生も、知りたい♪2017/05/31