内容説明
町工場からスタートしたホンダが浅間レースに出場しそして世界の舞台であるマン島TTに参戦。レースで培った技術は、日夜洗練され世界のオートバイメーカーとの技術格差を驚異的なスピードで克服したのである。そして、1961年の西ドイツGPで高橋国光選手が日本人ライダーによる日本製マシンで初の優勝を飾った。同年のマン島TTでは、3度目の挑戦にしてついに125ccと250ccクラスで日本メーカー初となるクラス優勝を果たした。日本の二輪関係者への取材を続け浅間ミーティングクラブの初代理事を務めた著者が語るホンダのオートバイレース史。
目次
ぼくとホンダの出会い
ホンダの生い立ち―ドリーム号の誕生
良品に国境なし―赤カブの大ヒット
世界をめざして―TTレース出場宣言
“作業服神聖論”―白いつなぎのエピソード
力を合わせてピンチを乗り越える―宗一郎氏と労働組合
浅間高原レースへ―ヤマハとの熱戦
2ストローク対4ストローク―第2回浅間火山レース
世界の舞台へ―ついにマン島上陸
ホンダ、マン島TT初戦―井の中の蛙、大海を知る
再び浅間へ―国内のレーサーたち
マン島で学んだこと―GPマシンへの情熱
マン島帰りのホンダ―本田宗一郎氏と鈴木俊三氏
1960年、マン島―デュークの“手引書”
三度目の挑戦―外国人ライダーの存在
MVアグスタの引退―ホンダ、西ドイツGPでの優勝
“世界のホンダへ”―マン島TTでの優勝
著者等紹介
中沖満[ナカオキミツル]
1932年(昭和7年)東京・麹町生まれ。番町小学校、麹町高等国民学校、旧制九段中学中退。1948年9月、わたびき自動車工業株式会社に入社。塗装職人として34年間勤めた後、1983年からフリーのライターとして活躍。1975年に「浅間ミーティング・クラブ」を有志とともに設立し、初代理事長を務める。1989年には長野原町に二輪車博物館として「浅間記念館」を開館するなど、32年間にわたりクラブの活動を支えた。2007年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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