内容説明
いま、なぜ「平成の後藤新平」が求められているのか?大地震翌日、山本権兵衛内閣の内務大臣を引き受けた後藤は、その2日後「帝都復興の議」を立案する。その構想は、政争の中で削減されてゆくが、基本構想は残った。わずか120日という短期間で、現在の首都・東京や横浜の原型をどうして作り上げることが出きたか?豊富な史料を読み解き、「復興」への道筋を跡づけた決定版ドキュメント。
目次
1 後藤新平・帝都復興一二〇日の軌跡―証言と記録から構成したドキュメント(プロローグ 第二次山本権兵衛内閣の成立;「帝都復興の議」を閣議に提出;帝都復興院の創設とスタッフ人事;復興計画の策定;ビーアドの再招請そして進言 ほか)
2 資料―都市の復興と自治の精神(「帝都復興の議」(一九二三年九月六日)
「帝都復興の詔書」(九月一二日)
「大乗政治論」(一〇月三日)
「内相進退伺いの状」(一一月)
「三百万市民に告ぐ―山本内閣入閣の情由と復興計画に対する所信」(一九二四年) ほか)
特別附録 後藤新平を中心にした関東大震災の復興プロセス
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感想・レビュー
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luther0801
4
公表された吉田調書の生々しさに衝撃を受けて、再読。私利私欲を捨て、大局でものを視る姿勢は、感動を呼ぶ。2014/09/22
YYLR
2
都市をつくる上では市民一人一人の意識が大切であり、ビアード博士が説いたとされる都市の四つの敵が疫病、無知、貧困、無慈悲とすることに、今の日本のまちにもあてはまるところがあると感じた。後藤新平の凄さが認識できた一方、政治に翻弄されることによる、関係人の苦悩と復興成果の物足りなさは、いつの時代もつきまとう問題なのだと実感した。2014/01/05
psi_x
2
都市計画について多くの人に声をかけ力を総結集してことにあたろうとしている。でもそこに立ちはだかるのが今と同じ政党政治であったりして。また国民の十分な理解もかけていたのかと。2012/02/09