内容説明
「からだとことばのレッスン」を通じて、人と人との真の出会いのあり方を探究した、演出家・竹内敏晴(1915‐2009)。幼年期の「柔」の道場での経験、学生時代の弓術への没頭、そして新劇からアングラへ、現代演劇の最先端を疾走―。名著『ことばが劈かれるとき』の著者が、死の直前の約三か月間に語り下ろした、その“からだ”の稀有な来歴。
目次
第1章 生い立ちから小学校入学まで
第2章 浦和中学の頃
第3章 大東亜戦争と旧制第一高等学校
第4章 「感じるからだ」と「考えるからだ」―日本の戦後について
最期の章 間近に死を控えて
聴き手による補足(今野哲男)
父と私(米沢唯)
著者等紹介
竹内敏晴[タケウチトシハル]
1925年、東京生。演出家。東京大学文学部卒。ぶどうの会、代々木小劇場を経て、72年竹内演劇研究所開設(~86年)。79~84年宮城教育大学教授。その後も「からだとことばのレッスン」に基づく演劇創造、人間関係の気づきと変容、障害者療育に取り組みつづける。2009年9月7日死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬参仟縁
24
氏の父は、庶民が合理的にものを考えるとこうなるという見本になりそうなことを、自分で工夫しながら編み出した(15頁)。戦中に消えた日本の自治(70頁~)。成績は、教える側の印象が強く関係する(103頁)。それは主観的にならざるを得ない。私は担任に嫌われた生徒を見てきて、その生徒は嫌われていたため、希望する学校の受験権利を失った。私は資格を2つ、1発で取らせたが、学校生活まではいかんともしがたい。『マルクス・エンゲルス全集』読書会(158頁~)。2015/11/28
tekesuta
4
インタビュアーが竹内さんの屹立するような美しい感覚のことについて、それをどうひらこうかと考えてきて竹内敏晴にはまったということだが、「男に対して結果的に厳しいところがあると思うんだな」とか言っていたので、ええ?そうなの?と思った。ワークショップに参加していた男性が「辛いです」とか竹内さんに言ってた意味はこれなんだろうか?とか小一時間… 2015/07/12
tom
3
「ことばが劈かれるとき」の印象が強烈で,就職して4年目ころ,レッスンをお願いしたことがある。たぶん,昭和56年のことだ。呼びかけのレッスンをした。研修生数人を座らせて,後ろから特定の人に呼びかける。きちんとねらうと,声が届く。そのことにびっくりした。以来,時々,本を手に取っていたのだけど,すでに亡くなっていることは知らなかった。ああそうだったのかと,ちょっと残念な気持ちで読了。この本を読んで知ったのは,ずいぶんとバトルの人,個を大事にした人ということ。2011/03/20
冬の入江
2
図書館で借り、読了後購入。 レッスンする人というタイトルだが、レッスンの内容については書かれておらず、演出家の竹内敏晴氏の半生を聴き書きの形で残した物。 読み始め、ちょいちょい入る幼少期の自慢に辟易しかけた。 だが、戦前、戦中、戦後を生きて見てきた人物の生々しい記録にぐいぐい引き込まれた。 この方の生い立ちにも由来するのだろうけど、主観でありながら世の中から距離を置いたような語り口に、ゾッとする事もあり、クスっとくる事もあり。 再読する本になりそうだ。2015/02/24
amanon
2
以前、著者による『ことばが劈(ひら)かれるとき』を読んで、その独自の言語論、身体論に強い興味を抱いたという経緯があったので、この書を手に取った。全聾という言語を失った状態から再び言語を獲得するという特異な体験を経た著者の言葉には、そのハンディを全く感じさせないと言ってもいいくらいのある種の清々しさに満ちている。その語り口に殆ど一気に読み終えることとなった。後、巻末の年譜を見て驚かされたのだが、還暦を超えて女性と一緒になり(事実婚ということか?)一女をもうけたという事実。その愛娘による後書きが泣ける。2010/12/30
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