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出版社内容情報
喪われたオスマン・トルコの栄華と自らの過去を織り合わせながら、「憂愁」に満ちたこの町を見事に描いた傑作。
内容説明
「わたしは一九五二年の六月七日、真夜中少し過ぎに、イスタンブールのモーダにある小さな個人病院で生まれた」―画家を目指していた二十二歳までの“自伝”を経糸に、フロベール、ネルヴァル、ゴーチエら西洋の文豪とトルコの四人の作家が描いたこの町の姿を自在に引用しながら、喪われたオスマン・トルコの栄華と自らの過去を織り合わせつつ、胸苦しくも懐かしい「憂愁」そのものとしてのこの町を見事に描く。町を撮らせたら右に出る者のない、トルコを代表する写真家アラ・ギュレルの作品を中心に写真二〇九枚を収録。
目次
もう一人のオルハン
暗い博物館風の家の写真
“わたし”
崩壊したパシャの屋敷の悲哀―通りを吟味する
モノクローム
ボスフォラス海峡の発見
メリングのボスフォラス海峡の光景
母と父とがいなくなったこと
もうひとつの家―ジハンギル
ヒュズン、メランコリ、悲しみ〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
327
オルハン・パムクの語るイスタンブール。彼の自伝なのだが、同時にそれはイスタンブールの伝記である。ただしそれは悠久の都市イスタンブールではなく、パムク自身と接点を持つ範疇でのそれである。もっとも、そうでありながらもコンスタンティノポリスからコンスタンティノープル、そしてイスタンブールへと名前を変え、主人を変えて行った重層都市イスタンブールの性格を期せずして(あるいはそれと意識して)反映しているのではあったが。それはパムクのいたって個的なイスタンブールであると同時に、普遍性を併せ持ったイスタンブールであった。2023/03/21
starbro
163
オルハン・パムクは、新作中心に読んでいる作家です。トルコ旅行の復習で読みました。著者の半自伝&イスタンブールの街に関するエッセイでした。街並みや地名が頭に残っているため、世界観に上手く浸りました。第一次大戦敗北でオスマン・トルコ帝国(大国)⇒トルコ共和国(小国、欧羅巴の端)と第二次世界大戦敗北で大日本帝国(中国)⇒日本(小国、極東)と共通点は多いので、共感出来るところが、多々あります。2019/09/20
どんぐり
87
政教分離主義をとって西欧化を図ってきたトルコ。その首都に生まれ育ったノーベル文学賞作家パムクの「憂愁(ヒュズン)の町イスタンブール」である。この本に頻繁に出てくるのが、精神的な面の大きな喪失から出てくる感情を表すアラビア語の「ヒュズン」。イスタンブールの古いアパートや崩れた木造の屋敷、薄暗い裏通り、夕闇のなか家路を急ぐ人々、高架水道、ボスフォラス海峡を通過する船など多種多様な200枚余りのモノクローム写真とともに、両親と兄、一族の関係をとおして22歳までの思い出を語っている。→2021/04/15
まーくん
42
イスタンブール、いつか訪ねてみたい街。映画「トプカプ」、いや少年時代に見た「ロシアより愛をこめて」からかも。ノーベル賞作家パムクがボスポラス海峡を望むその街に自らの半生を重ねる。栄華を誇ったオスマン帝国も長い沈滞の後、一次大戦により広大な版図を失い終焉を迎える。その名残り、朽ち果てた廃墟や貧困から感じられる憂愁(ヒュズン)の中、海峡を行き交う船を眺め育った自分の幼年期や青春の思い出を辿る。”ヒュズン”という語には何か欠けてる、失ったものという感情を含むという。22歳、母に作家になることを告げ物語は終わる。2018/11/21
みねたか@
38
「ヒュズン」(憂愁)という感情を媒介に描かれるイスタンブールの情景と人々。 個人の感情である「メランコリー」とは違い、オスマン帝国の凋落と崩壊がもたらした街そのものが形作る憂愁。それでも、重苦しくならないのは、ボスフォラスから吹く風が、人生は悪いことばかりではないと教えてくれるから。そして、街と共に描かれる作家の青年期までの日々。母、兄、父そして初恋。作家パムクを形成した日々が息づく。この分厚い書物を読み終えてもう1月近くになるが、毎夜数頁読み進めた至福とも言うべき時間はいつまでも忘れ得ない。2022/10/17
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