ムーレ神父のあやまち

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  • サイズ B6判/ページ数 490p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784894343375
  • NDC分類 958
  • Cコード C0397

内容説明

神秘的・幻想的な自然賛美の異色作。セルジュ・ムーレはプロヴァンスの寒村で敬虔な司祭として暮らしていた。ある夜、熱病で倒れた彼は近くの広大な庭園パラドゥーに運ばれ、そこで野性的な娘アルビーヌの献身的な看護をうける。二人はたがいに惹かれあい、自然のなかで愛の日々に陶酔するが、やがて別離のときがやってくる。アルビーヌは彼を待ち続けるが…。

著者等紹介

ゾラ,エミール[ゾラ,エミール][Zola,´Emile]
1840年、パリに生まれる。フランスの作家・批評家。22歳ごろから小説や評論を書き始め、美術批評の筆も執り、マネを擁護した。1862年、アシェット書店広報部に就職するが、1866年に退職。1864年に短編集『ニノンヘのコント』を出版、1865年に処女長編『クロードの告白』を出版。また自然主義文学の総帥として論陣を張り、『実験小説論』(1880年)を書いた。1891年には文芸家協会会長に選出される。1897年暮れからドレフュス事件においてドレフュスを擁護、1898年1月、「私は告発する!」という公開状を発表。そのため起訴され、同年7月イギリスに亡命。翌年6月に帰国、空想社会主義的な『豊穣』『労働』などを書いたが、1902年9月29日、ガス中毒により急死

清水正和[シミズマサカズ]
1927年生まれ。京都大学仏文科卒。専門は、フランス19世紀文学と関連芸術。2002年歿

倉智恒夫[クラチツネオ]
1936年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。現在、川村学園女子大学人間文化学部教授、千葉大学名誉教授。専門は、比較文学、フランス文学
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

NAO

50
ゾラには珍しい幻想的な話。パラドゥーはパラダイスであり、セルジュとアルビーヌはそこに住むアダムとイヴだ。アルビーヌは純潔な乙女を象徴するアルビノ(白)だが、信仰に生きようとするセルジュを誘惑する女でもある。愛よりも信仰を取ったムーレ神父はアルビーヌを不幸にしたが、ムーレ神父の信仰そのものが最初から冒涜的なところもあり、だからこそパラドゥーという場所そのものがセルジュ・ムーレの頭の中の夢想でしかなかったような気もしてくるという、なんとも不思議な話。自然主義者のゾラがこんな幻想的で官能的な話を書いていたとは。2016/06/30

星落秋風五丈原

28
神父セルジュは病気で倒れ、パラドゥーで野性的な少女アルビーヌと出会う。熱病で記憶喪失になったセルジュは、自身が神父であることも、熱心なキリスト教徒であることも忘れ、アルビーヌと愛し合う。しかし外の世界を見たセルジュは再び記憶を取り戻して信仰に悩み、やがてアルビーヌは死んでゆく。セルジュがエデンの園でリンゴを食べて追放されたアダムに擬せられている。本編のアダム=セルジュは、もともとアルビーヌよりも別の女性に惹かれていた。キリストの母マリアだ。2024/06/06

兎乃

27
L地点からP地点へ そしてL地点に主人公が戻るシンプルな構造。叢書中の息抜きとしながらも、P地点においてゾラは植物知識に裏ずけられた豊潤な描写を披露する。これを豊潤とするか、執拗とするかは個人差だ。登場人物も少数限定で作中の役割もわかりやすい。生まれつきの病によって 狂信のムーレ家から あらかじめ開放されている主人公の妹、その無垢さに"あやまち"の答えがあるのかもしれない。叔父パスカルの名言や 信仰の対比 薄幸のアルビーヌ、今風にアレンジすればメディアミクス可能な ゾラの上質なラノべ として楽しんだ。2014/02/25

ラウリスタ~

23
フランス語で。一部はミサの準備などでの長い長い教会固有名詞の羅列が辛い。聖母マリアへのあまりに激しい祈りで気を失い、原始の森に面した部屋の中で目覚める。司祭であった記憶をなくしたセルジュは、半野生児アルビーヌとエデンの園の神話を繰り返す。自然に「愛」を教わる二人。「自然」とは「サタン」の位置に位置づけられているが、それは「キリスト教化された世界において」のみ「悪」であり、「自然」の内部の論理では悪でも善でもない。第三部では、記憶を取り戻したセルジュが信仰と愛との間で揺れ動く。ラストの生と死の大団円は見事。2017/02/06

ラウリスタ~

18
ゾラってこんな小説書けたんだ、と正直驚いた。はっきりと三部構成となっており、いわば幻想のなかでエデンの園での悦楽と堕落をたどり直す第2部は、ゾラと聞いてイメージするものとはだいぶ遠いように思う。ここを評価するかどうかはフロベールとモーパッサンであっても、真っ二つに分かれるそうな。生命賛歌、オフェーリア、若き神父に潜む性欲、それらを単にカトリックの旧弊さの批判に回収されるにはもったいない豊穣な作品に仕上げている。すばらしい。2016/03/22

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