内容説明
終末期を迎える患者やその家族には、身体的・精神的・社会的なさまざまな「痛み」が現われる。医療だけでは除けない心の痛みのケアこそが、宗教者の役割であり、それは医療者と連携することで、より効率的に行えると呼びかけ、二十余年にわたり患者たちに寄り添い、その最期を看取ってきた一人の僧侶。ベッドサイドに仏教がある風景が、仏教と医療とが協働するターミナルケアが、ここにある。
目次
私の出発点―「坊さんだけは遠慮してくれ」
お坊さんに聞いてほしかった
「死なせてくれ、殺してほしい」
あらゆる痛みと苦悩
僧侶は生前に、医療者は死後に関わりを
ご家族のケアも大切
お父さんカッコよかったよ
無二の親友の心停止まで
入院で自ら患者経験
沈黙の共有にも大切さ
そばにいてくれるということ
医療と宗教が自然に手を携える日を夢見て
著者等紹介
長倉伯博[ナガクラノリヒロ]
1953年、鹿児島県生まれ。鹿児島県善福寺住職。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業。龍谷大学大学院修士課程修了。浄土真宗本願寺派布教使。日本緩和医療学会会員。国立滋賀医科大学非常勤講師。浄土真宗本願寺派ビハーラ活動者養成研修会修了。地元鹿児島で、医師や看護師とともに「鹿児島緩和ケア・ネットワーク」を立ち上げ、医療チームの一員として終末期の患者やその家族のケアに取り組むほか、全国の宗教団体や大学等で、宗教と医療の終末期医療における協働を呼びかける講演を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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かめあい
2
あなた、往く人 私、少し遅れて往く人 ともに浄土へ還る人2020/06/28
Idiot
1
葬儀屋に勤めていた私は色んな別れの場に立ち合った。生後数ヶ月の赤ちゃん。100歳を超えた大往生。不慮の事故。自死。今、私の命が続いてるのは奇跡だと思った。そんな私は僧侶と結婚した。色んな話を彼から聞いた。僧侶と言う職種が煙たがられること。葬儀屋と言う職種が嫌がられること。それらの経験や彼からのお話の有無に関わらず、この本は泣ける。 命の尊さを改めて感じ、愛した人の命がある事を尊く思う。そんな本。2024/02/16
ココアにんにく
1
こういった活動をしてくれているお坊さんがいるととても心強い。お坊さんは葬儀のイメージなので病院では…と思ってしまうが、生老病死すべてに普段からもっとかかわる環境があればそういった誤解はなくなると思う。著者はお坊さんなのに、説教じみたことはない。御自身の経験を御自身の言葉で書かれていた。苦しい時に一緒の方向を見て伴走してくれる人がいればどれだけ有難いか。類書には必ず出てくるキューブラー・ロスの五段階など書いていないのもよかった。2015/12/27