内容説明
戦争を買うな、悲しみが売れ残る。「コード・ピンク:平和を求める女性」が編集したアメリカの議員、作家、ジャーナリスト、学者、草の根平和運動家たちの反戦発言集。
目次
1 平和への情熱(それは一人の声から始まる;暴力の文化から平和の文化へ;より強固な反戦運動を作るには;女性の声を強くして;私たちが共有する人間性)
2 戦争と暴力の支持基盤への挑戦(メディアを逆回転させて;指導者たちの説明責任を追及しよう;世界から武器をなくそう;資源の保護と尊重;楽しい革命を祝おう)
著者等紹介
ベンジャミン,メディア[ベンジャミン,メディア][Benjamin,Medea]
「グローバル・エクスチェンジ」創立時より理事。ジョディ・エヴァンスとともに、コードピンクを立ち上げる。「平和と正義を目指す連合」加盟組織の共同に努力。アフガニスタン、イラクを何度も訪れ、アメリカ占領下の状況を監視する「オキュペイション・ウオッチ・センター(占領監視センター)」を組織。2000年の選挙では「緑の党」からカリフォルニア州で上院議員選に出馬。生活できる賃金、公的医療の充実、刑務所より学校の建設をと訴えた。公衆衛生と経済学の学位をもつ
エヴァンス,ジョディ[エヴァンス,ジョディ][Evans,Jodie]
30年以上に渡って環境・政治問題に取り組んできた活動家。2000年、ドブロクニク平和会議開催に関わり、同年の共和党大会時には影の大会を開催。1973年から82年にかけて、カリフォルニア州知事ジェリー・ブラウンの行政理事を務める。環境問題解決のため、風力・太陽光発電の普及にも努力。熱帯雨林問題、麻薬問題、庭園プロジェクト、地域自治などの運動にも関わる。ハープ演奏家、園芸家、陶芸家でもある
尾川寿江[オガワヒサエ]
1975年国連・国際婦人年の年に、日本婦人団体連合会(婦団連)より国際民主婦人連盟(国際民婦連)の書記に任命され、連盟本部があったドイツ民主共和国の首都東ベルリンに派遣される。2年半にわたって本部書記局に赴任。帰国後、大阪を中心に国際婦人年大阪の会、新日本婦人の会などで女性運動に関わりながら通訳・翻訳業に従事。原水爆禁止世界大会の通訳・翻訳ボランティアとして平和・核兵器廃絶の取り組みにも参加している。2006年4月より、翻訳・通訳事務所・グローカル主宰
眞鍋穣[マナベユタカ]
1976年、京都大学医学部卒業。同大付属病院小児科、小倉記念病院小児科で研修。耳原総合病院小児科部長、同院長などを歴任。日本小児科学会代議員、社会保険委員などを務める保育所での食物アレルギーの対応、アレルギー児の治療とともに乳幼児医療費無料化をはじめ、子どもの医療・福祉の充実の運動に関わり、子どもたちの未来の最大の敵である戦争を防ぐために「核戦争防止国際医師会議」に参加してきた。現在、阪南医療生協診療所所長、上野芝陽だまり保育園理事長、大阪健康福祉大学教授
米澤清恵[ヨネザワキヨエ]
1963年より約30年間大阪市立中学校に英語科教員として勤務。その間新英語教育研究会の会員として、英語教材を使った平和教育に努力。大阪原爆被害者の会婦人部の皆さんから生徒とともに学ぶ。1998年よりアレンネルソン関西ネットワーク世話人。1995年第4回世界女性大会(北京)に参加以来、WWN(ワーキングウイメンズネットワーク)の海外向け資料の英訳に協力。また、大阪府アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(AALA)に所属し、旧日本軍慰安婦問題解決のための活動を開始。2001年から2003年まで、韓国延世大学語学堂に語学留学。その間ナヌムの家で週末ボランティア、水曜デモに参加し、旧日本軍慰安婦問題を学ぶ。慰安婦問題解決法案(野党3党提案)の成立を目指して署名活動、講演活動中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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