内容説明
ナチスとは何か―宣伝から探る、その本質。宣伝相ゲッベルス―『勝利の日記』から、フルトヴェングラーの政治利用まで、厖大な資料から読み解く、「宣伝的人間」の真実。
目次
いま宣伝機関銃を射ちまくっている―ゲッベルス『勝利の日記』
大衆は雪崩れをうって押し寄せてくる―ゲッベルス『伯林奪取』
朝の身支度に正確に四十五分を費やした―ゲッベルスの服装と宣伝の補完関係
宣伝大臣ゲッベルス対指揮者フルトヴェングラー―クルト・リース『フルトヴェングラー―音楽と政治』
著者等紹介
草森紳一[クサモリシンイチ]
1938年、北海道生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒。編集者を経て文筆家に。1973年『江戸のデザイン』(駸々堂出版)で毎日出版文化賞受賞。ライフワークである李賀、副島種臣から、デザイン、絵画、写真、広告、建築、マンガまで、さまざまな分野を跨ぎ、先駆的な著作を著した。2008年3月歿(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
HANA
56
ナチスの宣伝を主題にしたシリーズ。一巻はゲッベルス。彼の宣伝の手法を論じているのではなく日記二冊を論じるという形式なので、予想していたのと違いちょっと違和感。それでも彼の心理の動き、手法の変遷等がわかって十分に興味深かったけど。ただナチスの政権掌握以前をある程度知っておかないと難しいかもしれない部分も多少あり。後半は彼のファッションと非協力的な指揮者をいかに政治的に宣伝するかが中心。正直この指揮者との争いは本書の白眉だと思う。指揮者の方に重点が置かれているせいか、芸術と政治の争いが主題となっているせいか。2015/08/07
傘緑
25
「ナチスの宣伝は、人々を幼稚化することにあるが、その発想と手段もまた児戯に似ている…」劇団ナチズムの公演「第三帝国」の製作者兼監督である宣伝大臣ゲッベルス。本書は裏方と思われがちな、この宣伝的人間の絶対的主役級の活躍に注目した意欲作である。意味段落ごとの小見出しを抜き出してみると…「繰り返しによって大衆の関心はいよいよ強まる」「映画からの宣伝的ヒント。最少の手段で最高の効果」「選挙権の持主の半分は女性である」「残忍な茶番劇は、大衆を興奮させる」「子供。子供。子供。どこを見ても…」「宣伝は政治的芸術である」2016/10/05
ののまる
9
ナチスとは「狂信的集団」ではなく、大衆の欲望を増幅させた「絶対的宣伝集団」である。2019/12/12
Yasutaka Nishimoto
7
草森紳一による、1970年代に書かれた本書は、戦前に発刊されたゲッペルスの「勝利の日記」を引用しながら進む。このページ数で、引用部分の漢字の難解さに突っかかり引っかかりしながら、なんとか読了。無名だった党を宣伝により独裁にまで持っていく手法が、現代の日本の政治にも似て、直近の選挙のためなら…というあたりが、極悪非道というナチスに抱いていたイメージは大きく変えられてしまった。宣伝の後に政治がついてくるという解釈が面白く、2巻のヒトラー編も手を出してしまいそうになる。2017/01/29
garyou
5
チャップリンがヒットラーを真似るよりもヒットラーがチャップリンを真似たのが先なのかー。国会図書館にあつたゲッベルスの日記録に書き込みをせずにはゐられなかつた人、といふのが異様に気になる。人はナチスに惹かれ、ふと我に返つて「あれは忌むべきもの」とことさらに云つたりする。でも惹かれる所以のところをちやんと見つめるべきだ、といふ話。それにしてもこれ全篇手書きだよな。当時は当たり前のこととはいへ、恐れ入る。2016/02/23