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内容説明
「私とは誰か」という根元的な問いと「戯れる」今日のファッションの多様な様相を、日本のモード雑誌のなかに、そしてヴィヴィアン・ウェストウッドの諸作品、女子プロレスのコスチューム、ゴシックロリータ・ファッションのなかに探る、記号学的モード研究の新しい成果。
目次
人間は衣服を着る動物である
ファッション雑誌の読み方―ロラン・バルト「書かれた衣服」を通して
ファッション雑誌で「日本」を読む―『ヴァンサンカン』の場合
コレクションを読む―ヴィヴィアン・ウェストウッドの方法
コレクションとストリップ・ティーズ―服なのか体なのか
アングロマニア―ファッションのなかのナショナル・アイデンティティ
服を着て闘う―女子プロレスラーのコスチューム
女子プロレスとポルノグラフィ
プロレスを作った男のコスチューム―力道山の黒いタイツ
闘う着せ替え人形―広田さくらのコスプレ・プロレス〔ほか〕
著者等紹介
小野原教子[オノハラノリコ]
1968年、大阪市に生まれる。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。旭化成繊維マーケティング部勤務、ロンドン大学名誉研究員、ヴィクトリア&アルバート美術館客員研究員を経て、兵庫県立大学経営学部准教授、神戸芸術工科大学デザイン学部非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
nranjen
3
ヴィヴィアン、女子プロ、ゴスロリ…今まで縁のなかった世界がずらっと並んでいて勉強になった。服と体の関係は、隠すものと隠されるものではなく、服は体を、体のさらにコアにある何かを包み隠しながら暴くものであるという存在の逆説的な面白さ、服自体が包有する仕組みの面白さに気づくことができた。ヴィヴィアン、女子プロ、ゴスロリに共通するのは、ジェンダーをはじめとする、気づかずに押し付けられている社会的記号に対する挑戦であり、自由になるための試みだという点なのだろう。途中の漫画と詩がとてもよかった。2020/09/21
くさてる
2
人間は衣服を着る動物である、という言葉。その通り、ファッション雑誌、ヴィヴィアン・ウェストウッド、女子プロレス、ゴシックロリータという様々な媒体を通じて語られる衣服の持つ意味がとても興味深かった。その意味づけが新たな解釈を生み、自分が袖を通す物を見る目も変えていくような知的興奮があった。もっともっと、こういう切り口の文章が読みたい、と思った。2012/03/14
koji
2
①バルトが「モードの体系」で述べたレトリックの体系は、高度消費社会においても妥当すること、②過剰なアングロマニアであるウェストウッドが示した、ファッションが言葉よりも自由に世界を駆け抜けること、③女子プロレスが示すビジュアルパフォマンスが示す絶え間ない差異の自己増殖、④「ゴスロリを通してみるkawaii」、日本が示す新しいファッショナブルな価値。ポストモダン的な文章の中で、「ファッションとしての日本」を追究する論文集です。日本とは・・・それは「異」をむりに超えようとしない自由さです。興味深い本でした。2011/07/21
メルセ・ひすい
2
15-19固有名詞の構成物なのか?誰にでもなれるパターンブックのパワー!★誰にも似てない<私>《私》が作られていくのだ!ロランバルト…記号論!★服そのものは?そうさただの布切れ!メディアによる経済・商業主義、ファッション・流行・モード。衣服の機能とはべつの外の世界…社会、文化的の作為、巷に対する作為的洗脳である。今日のファッションの多様な様相を、日本のモード雑誌の中に、そしてヴィヴィアン・ウェストウッドの諸作品、女子プロレスのコスチューム、ゴスロリ・ファッションの中に探る。記号学的モード研究の新しい成果。2011/06/15
kenitirokikuti
1
小論集。女子プロレスを扱った章を読んだ。やっぱ元は女相撲みたいなもんであり(アメリカでもそう)、ストリップ的な要素が強かったのだが、日本で独自進化した。衣装は特に考えられてなかった時期が長く、普通の競泳用の水着を着ていた。クラッシュギャルズやビューティペアとか、だんだんコスチュームを考えるようになったそうな。セパレートを初めて着たのは北斗晶らしい。2016/10/09
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