内容説明
ランボー、そしてヘルダーリンをめぐってあふれ出す、豊饒なことばのエチュード。
著者等紹介
ソレルス,フィリップ[ソレルス,フィリップ][Sollers,Philippe]
1936年、フランスのボルドーに生まれる。1957年、『挑戦』でデビューし、フェネオン賞を受賞。1960年、雑誌「テル・ケル」を創刊。同時期に書いた『公演』(1961年。新潮社、1966年)でメディシス賞を受賞。その後も多くの小説、批評を発表し続けている
齋藤豊[サイトウユタカ]
1951年、仙台市に生まれる。明治学院大学卒業後、中央大学大学院博士課程中退。現在、聖徳大学人文学部准教授。専攻、フランス文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ノブヲ
15
小説の自由律とでもいうのか、しかしこの作品を単に随筆と呼ぶのでは、あまりに決まりが悪い。たとえばベケットは最初から「小説」という枠内に収まりきらないようなことを、それでも小説で表現しようとした。一方ソレルスは姿勢を正し、正攻法でもっともらしく小説を書こうと試みるのだけれど、それでもそこから零れ落ちていくものがあって、その中にこそ「小説の純粋さ」を見た。言い換えれば、情がわいたということでもあるだろう。その意味で彼はヒューマニストだし、翻ってこの作品をポストヒューマニズム文学と位置づけることもできるだろう。2024/11/08
きゅー
3
さる書評にも書かれたけれど「無機質、透明」という言葉が非常に似合う作品。それはこの小説全体が、私による一人語りでありながら、最後までその「私」の姿が判然としないという形で明示されている。そもそも小説と呼ぶべきか躊躇われる。むしろエッセイ、あるいはモノローグと呼んだほうが正確なのではないだろうか。そしてその話題はランボー、ヘルダーリンへと向かう。もし読者がその二人について強く興味を持っているなら良いのだが、そうでないなら雲行きは怪しい。少なくとも『地獄の季節』、『イリュミナシオン』は先に読んでおくべきか。2011/11/08
gu
2
「面白いかもしれない」とぼんやり感じられるところまでしか読めなかった。ストーリーはほとんど無いようなもので、ランボーやヘルダーリンらの先行作品を読む(引用する)ことで時代を飛び越え、また現代にあるかのように呼び出している。時間の軽やかな行き来を楽しむ?2012/01/11
EnJoeToh
2
ソレルスを読めるなら傑作。2009/04/26
ハヤシ
1
ランボーとヘルダーリン2009/05/01