ディアーナの水浴 (第2版)

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ディアーナの水浴 (第2版)

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  • サイズ A5判/ページ数 118p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784891764739
  • NDC分類 954
  • Cコード C0010

内容説明

ディアーナ(アルテミス)の水浴する裸身を盗み見たゆえに鹿に変えられ、自分の猟犬たちに噛み裂かれてしまうアクタイオーン―この神話の注釈の形をとった本書は、クロソフスキーの他の諸著、とりわけ小説作品の解読の鍵を秘めている。「ディアーナは神々と人間との中間にいる守護霊と盟約を結んで、アクタイオーンに顕われる。ダイモンは空気のような身体によって、ディアーナのテオファニーの模像となり、アクタイオーンに女神を所有しようという向こう見ずな欲望と希望を吹きこむ。ダイモンはアクタイオーンの想像となり、ディアーナの鏡となるのである。」鹿に化しつつあるアクタイオーンにディアーナが投げたという挑発の言葉―「さあ語れ、衣を脱ぎすてたわたしを見たと、もしお前にできるものなら、してみるがよい」、神話の中のアクタイオーンには答えるすべもなかったこの言葉に、もう一人の瞑想するアクタイオーンであるクロソフスキーが答えた言葉、それがこの本である。

著者等紹介

クロソフスキー,ピエール[クロソフスキー,ピエール][Klossowski,Pierre]
1905年、パリに生まれ、2001年、パリに没した。リルケの庶子であり、画家バルテュスの兄である。若い頃、ジッドの知遇を受け、その秘書をつとめたことがある。34年にはバタイユと知りあい、彼を通じてブルトンなどのシュルレアリストたちにも近づく一方、バタイユの主宰する“コレージュ・ド・ソシオロジー”の活動に加わる。その後一時聖職者を志してパリとリヨンでカトリック神学を学ぶが、45年以後は俗生活に戻る。47年に刊行された『わが隣人サド』は第二次大戦後におけるサド研究の飛躍の先駆となった画期的著作であるが、これによって彼の文名は一挙に高まった

宮川淳[ミヤカワアツシ]
1933年、東京に生まれ、77年、東京に没した。東京大学文学部卒業。成城大学教授をつとめた。専攻、美学、美術史

豊崎光一[トヨサキコウイチ]
1935年、東京に生まれ、89年、東京に没した。学習院大学文学部卒業。同大学文学部教授をつとめた。専攻、フランス文学
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感想・レビュー

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またの名

10
女神が水浴を覗かれて報復に犬に食い殺させた神話のエピソードを偏執的に考察。表象を超え出る享楽とモノdas Dingの魅力をそれでも捉えようとして展開される執拗で不穏な神話世界は、ラカン系の思考の人だったら「背後にあるモノという幻想に囚われちゃってますね」と一蹴する倒錯の錯誤でしかない。表象を蔑むが故に執拗な表象を繰り広げる放蕩者に対して、表象を侮ることの危険に自覚的であろうとして享楽の扱いに注意する分析家は結局のところ、反表象主義を退けることになるらしい。しかし全ては幻想だと言い切るには、強烈過ぎる幻想。2014/06/19

mstr_kk

4
3回目。そろそろちゃんと消化しようと思って、時間をかけて読んだ。今回も最初はまったく意味不明だったが、根気強く整理していくと、だいたい理解できた。そしていまなら、かなり面白かったと言える。要するにクロソフスキーは、「ディアーナの水浴」の神話から、真実を覆い隠す模像を破壊して神性そのものを言葉で表象したい、という人間の不敬かつ不可能な欲望を取りあげ、そこにさまざまなコメントを加えているのだろう。非常に分かりにくいが、文章が美しく、枝葉の論点も興味深い。というかこれは、ひとつの小説なのかも知れない。2014/03/09

真田 光

0
作者は大学でキリスト教を修めており、それ故にギリシャ神話の多数のバージョンを把握していて、ローマで希神話がどのように受容されたかも理解の上で、この思索をしているのではないか、という感があった。グレーヴスやバッハオーフェンの影響も感じられる内容である。(当時の流行だったのであろうか2018/09/28

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