内容説明
言葉に変えることの至難な、制作の永久革命の不可避の秘密に肉迫した理論書であり、「書く」=「読む」ことを主人公としたスリリングな小説であり、人間と世界を頌える美しい詩篇。
目次
マルセル・プルースト(マルセル・プルースト―話者と作家)
極点へ―ジョルジュ・バタイユとモーリス・ブランショ(静寂のさなかの雄鶏の叫び声;パッション;謎の災厄こそが光をもたらす)
ラポルト、または限りなく『貧しいもの』へ
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
かふ
17
書くこと(エクリチュール)の無為なる行為についての三人。プルースト、バタイユ、ブランショ。彼らの無為なる行為(書くこと)について、神がいない世界での悪魔への祈りのような行為。十字路とは?その思考を解明するより、生きなければならないとするブランショの言葉。ブルースの曲「クロスロード・ブルース」を思い出す。以下、https://note.com/aoyadokari/n/n7f883f32bf5c2022/03/30
koala-n
0
タイトル通り、プルースト論、バタイユ論、ブランショ論の三篇を収める。とはいえ、メインはプルースト論であり、作家が作品を書くとはいかなることか、また芸術家であるとはどういうことかを繊細な筆致で描き、話もかなり分かりやすい。これに引き替え、バタイユ論とブランショ論になるとぐっと話が込み入ってくる。というか、恐ろしく抽象的で、中々この手の文学論に慣れていないと、ほとんど理解できないのではないだろうか。久々にこういった(「おフランス系」)文学エッセイを読んだが、昔ほど楽しめなかったのは自分でも意外の感が強かった。2013/04/07
毒モナカジャンボ
0
「プルーストはメタファーに一番重要な位置を与えているが、それは、メタファーが文学的領域において、情動的記憶の一種の等価物だからなのである。」「かくも異なっていて、かくも相似た双子の兄弟であるこの話者(『失われた時を求めて』の主人公マルセル)と作者(マルセル・プルースト)は、唯一の巨大なメタファーにおいて、結ばれあっているのではないだろうか──そう、『失われた時を求めて』において。」2023/04/07
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