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内容説明
故国ベネズエラでの政治的迫害をのがれて絶海の孤島に辿り着いた《私》は、ある日、無人島のはずのこの島で、一団の奇妙な男女に出会う。《私》はフォスティーヌと呼ばれる若い女に魅かれるが、彼女は《私》に不思議な無関心を示し、《私》を完全に無視する。やがて《私》は彼らのリーダー、モレルの発明した《機械》の秘密を…。二つの太陽、二つの月が輝く絶海の孤島での「機械」、「他者性」、「愛」を巡る謎と冒険。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
きゅー
19
決して叶えることのできぬ愛。手を伸ばせば触れられる、しかし彼女フォスティーヌは絶対に「私」を愛することはない。このもどかしさが、ひしと伝わる。やがて「私」はある行動にでるのだが、それは彼が嫌っていたモレルの行動と非常によく似ており、フォスティーヌを中心としてモレルと「私」は同一の存在へと収斂してゆく。不死を肉体と精神の永続性と考えれば、彼らの行いは愚かなものかも知れない。しかし決して手に入れることができないものを、自分の手に留めるための手段があれしかない場合、人はそういう方法をも取らざるをえないのかも。2012/06/14
ndj.
13
ミシェル・カルージュ『独身者機械』からの再々(もっと?)読。何度読んでもおそらく一番好きな小説。第一階層にフォスティーヌやモレルたちが過ごす一週間があり、第二階層にはわたしがフォスティーヌに寄り添って過ごす一週間がある。階層の異なる永遠の一週間を永遠にすれ違い続けるふたり。第三者の視線の中でのみ完成する幸福。モレルの発明した悪魔的な仕掛けじたいにもぞわりとさせられる。これが完璧な小説でなくてなんだろう。2017/12/03
すけきよ
6
彼らの正体自体は途中で何となく想像つくし、実際そのシステムは半ばで明かされるんだけれども、語り手の現実が彼らに繰り込まれていく様、そもそも彼自体の現実とは? とラストに向けてぞくぞくする。全く信用の出来ない語り手、彼の正体など、読み終わった後に他の人と意見交換したくなる一冊。最近の作品だと「アメリカの七夜」とかに感触が近いかな。2008/03/09
あなた
5
ヴェルヌの『カルパチアの城』と構造が同じ。それにしてもボルヘスの親友でもあるカサーレスはただひとり熱帯SFものに猪突猛進である。ぜひバベルの図書館に入ってる熱帯スターマンの話も読んでくれ。ボルヘスとカサーレスが政治にまったく興味を示さず文学まっしぐらなのはうれしい限りだ。でも、二人は、きっと、マルケスとは友達にはなれないだろうね。あいつはパーティでコルタサルと殴り合いのケンカをして、ぶつぶつ・・・2009/07/15
gorgeanalogue
3
ああ面白かった。──われわれの人生は、こうした映像が過ごす一週間みたいなもので、それが隣接する世界で反覆されているのではないだろうか。──人はなぜかこうしたイマージュに憧れる。自分を朽ちさせることによって、出ることのできない幸福なイマージュのホテルに閉じこもる。ホテル・カリフォルニア?2019/01/17