内容説明
内憂外患に動く19世紀前半の中国にあって、彼が果たした歴史的役割とは…。民族的英雄と評価される林則徐の実像に迫る。
目次
第1章 官僚への道
第2章 経世官僚
第3章 アヘン問題
第4章 欽差大臣
第5章 アヘン戦争
第6章 歴史のなかの林則徐
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
崩紫サロメ
18
アヘン戦争時の欽差大臣・林則徐の評伝。従来の林則徐研究はアヘン問題・アヘン戦争との関係に比重を置かれすぎている、として、彼の経世官僚としての歩みを丁寧に辿る。そうすると、彼が何故黄爵滋のアヘン吸引者死刑論という「内禁」論に賛成したのかなども納得が行くという話である(=清朝の再建には官僚制の腐敗を是正することが不可欠)またカントン体制に関わる官僚の利権がアヘンに結びついていたことなど、清末の「経世済民」のあり方について考えさせられた。2020/08/31
りょーへい
2
4月11日から。今年の18冊目。1840年、アヘン戦争により中国の近代が始まりました。ご存じだとは思いますが、この戦争で中国はイギリスに敗戦します。その時の欽左大臣(全権大使)がこの本で取り上げられている「林則徐」です。評価は高いですが、「公平な視点」これが歴史の必要とされている部分です。欽左大臣としての期間は極めて短いようでしたが、イギリスと戦い、国内のアヘン売買を取り締まる、経世官僚としては立派な業績を残されておりますが、極めて期間は短いようです。その他の業績も今は注目されてきているみたいです。2015/04/16
錢知溫 qiánzhīwēn
1
じゅうらい、アヘン戰爭における功績ばかりが强調されてきた林文忠公が、むしろ本領は"經世官僚"としての地方行政における業績にあったのだとする。 人物評傳としては、貧しかった家庭環境や、よく出來た兩親と父親の友人林希五(諱雨化)が、彼の生き方に影響を與えたとする(三二‐八頁)ことと、科舉合格後、翰林院庶吉士となった後滿州語の學習に苦勞する姿(四〇~—頁)、地方官として理想と現實の狭間で苦しむ姿(六二-四頁)などは人間味を感じさせてくれる。2022/11/26
mitsu44
1
レポート用。イギリスとのアヘン貿易を何とかしようとした経世済民思想の官僚の伝記。2009/12/14