内容説明
『文芸春秋』は、現代日本を映し出す巨きなジャーナリズムである。このルーツに‘逸話の人’菊池寛がいる。時代の頂点を極めた作家であり,編集者であった彼は、出版ジャーナリズムに何を刻印したのか。
目次
1 逸話の人
2 作家という職業
3 純文学と大衆文学
4 編集者としての能力
5 自由主義者の運命
6 オーナー経営者として
菊池寛の時代は終ったか―あとがきにかえて
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
4
家族的な時代があった会社(ⅱページ)。田舎者の秀才菊池寛(6ページ~)。貧しいのにアホではない。なんとかならんのか、と小生は常々思うこと。アホの方が金持ちじゃないか、と。彼は乱読の人(9ページ)。人生は危険なものだからこそ生きるに値する(76ページ)。私が役場を辞めて大学院に行ったときは若かったのであるが。1933年の入社試験で出した100名の人の解説をさせるのは5分の1しか答えられなかった学校秀才(124ページ)。大量速読は必要なことの証左。知識の使い方が問われるのは時代に無関係。愛国ヒューマニスト寛。2013/01/24
rbyawa
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j063、正直この本で語られている「純文学」とは別に高尚なものではなく、小さな文壇においてその中でのみ通用するという見解も、菊池寛が「純文学に終生憧れていた」という見解も見慣れたものではあるものの、並べるのはどうなの…。出されてる資料の中でそもそも菊池氏が純文学に触れてすらないし…(戯曲で認められたがってた「小説」には触れてた、純文学じゃないな)。収穫は2代目社長の佐佐木茂索関係くらいかな…。もと文藝春秋の社員で元社長のことだけは詳しい、そのくらいですかね、純文学の規模の小ささに関してはとても詳しいです。2019/06/12