内容説明
いま、芸術はどこにあるのか?ただただ芸術論をめぐる迷妄を明らかにすることを目指して。今日、芸術論を検討することは、見たり聞いたりするだけでなく、作家にとって必須のことである。
目次
いくつかの名文から考える“感性論”への手がかり―小林秀雄、リルケ、ルナール、デュアメル
ある芸術イデオロギー“グレコマニー”の生と死―カール・マルクス、ヴィンケルマン、エーゴン・フリーデル
なぜ多くのアーティストは貧乏なのだろうか―『金と芸術』オランダの場合から考える
ボヘミアニズムという幻想はなぜ生まれたのか―「芸術家伝説」のルーツ
“風景論”から“風景画論”はどのように架橋されたのだろうか―現象から“知”は組み立てられた
印象派の「感覚」はルネサンス以来の美学を転換した―モネ、ピサロ、カンディンスキー
抽象芸術をめぐる半世紀前の価値ある論考―ベン・シャーンの50年前の言説
「感動」のありかの追求―中井正一の真摯で苦悩に充ちた闘い
「キッチュ論」は前進するのか―石子順造のの未完の思考への挑戦
「このろくでもないすばらしい世界」を撮りつづける映画作家―現代の魯迅=賈樟柯
「警戒心に富んだ」文章を書くという陥りやすい蹉跌―知識を集約しただけでは感動は生まれない
政治学者はなぜ「ダイアン・アーバスの写真」を書いたのか?―藤田省三の示唆
著者等紹介
寺田侑[テラダススム]
1945年12月、埼玉県の疎開先で生まれる。幼少期を川口で過ごす。1972年、大学卒業後、諸業に従事しながら、美術評論をこころざす。1973年、友人たちと同人誌「絵画 芸術研究」を始め、第7集までつづける。1970年代後半から、「ニューミュージックマガジン」(現、「ミュージックマガジン」)にアートのコラムを担当し、約7年間つづける。1993年から1年、「アサヒグラフ」で「現代アート人」(写真:宮尾飛古氏)の連載をする(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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