目次
だましてください言葉やさしく
手品
諸国の天女
あけがたにくる人よ
私が豆の煮方を
古事記
八月の願い
私がいなければ何もない
小さい水車のように
黙っている人よ藍色の靄よ〔ほか〕
著者等紹介
永瀬清子[ナガセキヨコ]
1906年岡山の熊山町に生まれ愛知県第一高等女学校高等科卒。二十二才のとき長女を生み三十六歳までに二男二女の母となる。夫の定年後県庁に勤務。その間、「グレンデルの母親」「諸国の天女」などを出版。詩を創り短章をつづり、1995年に八十九歳でその生涯を閉じる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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喪中の雨巫女。
10
《私‐図書館》夫婦って、一緒にいると、何気ないことで傷つけ、傷つきイライラし、腹をたててたことを思いだしました。いなくなると寂しいもんです。2013/08/04
hamham
8
男の一歩後ろにいつも居て、黙って、待って、働いて、優しい言葉を求めて、泣いて、ずっと乙女だったんですねこの方は。男は隣国と戦争する、女の羽衣をかくす、女の翼をもぎとる「さぁ、これが唯一の安全の道だ」という。戦中を生き抜いた女性の詩だけに刺さるものがある。 『「有事」戦争が来たらと云う。戦争が来たら、という声そのものがもう有事なのだ。(中略)自分の信ずる事以外にはしたがうまい。そんな単純な事でもちゃんときめておかないと、きっとその時になれば 五寸釘を折り曲げるように曲げられる世の中になるのだ。』にドキリ2014/07/03
aoi
7
この人、生きづらい女性なんだな、と感じる。家庭の女の哀しさが詰まっているから。そんな生きづらさに美しいと思っていると、ハッと人間の真髄のようなものかでてきて息が詰まってしまう。 私はこんなに美しい言葉を紡げないし、世の価値観がはっきりと変わる瞬間に直面しているのではない。でもどうしてか永瀬清子さんと、その生きにくさが似てる気がする。自分の気持ちを大事なものと感じて、それを封じ込めてはおけなくて、言葉にして突きつけたくなるかんじ。恥じらいなどに構ってられないかんじ。2015/08/01
ミメイ
5
☆4谷川俊太郎氏の薦めで1冊の本にまとめられたという詞華集。封建時代のさなかに結婚した永瀬さんはずっと詩が書きたかった。が、妻であり母であり農婦でありながら詩を創り続けることは、この時代の女にとってどんなに大変なことだったか。その心の呟き叫びが飾りのない言葉で綴られていて、詩ではあるのだけれど日記のようにも読める。ブログに書く呟きにもどこか似ていて、谷川さんが推薦される詩人ということに合点がいくような、とても近しく思える詩集でした。2009/06/25
くろねこ
4
詞華集。詞華というのは詩とか文章とかまざった感じのものとかのこと(多分)。女の身分がまだまだ低かった昭和の始めの頃にお嫁にいった永瀬さんの、主に結婚や家庭や夫についてのことばたち。40年の時間をかけて始まって終わったもの、終わってから初めてわかった事。短くて簡単な言葉なのに、涙が出た。これが愛っていうのかしら。なんて。2011/01/30