内容説明
奇跡のコレクション第二弾!ワシントン・ナショナル・ギャラリー展示の傑作36肖像画を一挙に紹介!
目次
十五、六世紀のイタリア・ルネサンスと北方ルネサンスにあって(「ある男の肖像」(一四五〇)アンドレア・デル・カスターニョ(一四一九‐一四五七、フィレンツェ)
「聖ルチア」(一四七三/七四)フランチェスコ・デル・コッサ(一四三六‐一四七七/七八、フェラーラ) ほか)
オランダ黄金時代の十七世紀(「高帽子の男の肖像」(一六六三)レンブラント・ファン・レイン(一六〇六‐一六六九、オランダ)
「手紙を書く女」(一六六五)ヨハネス・フェルメール(一六三二‐一六七五、オランダ))
十八世紀後半から十九世紀の前半にかけて―フランス、イタリア、イギリス、スペイン、そしてアメリカも(「ル・フェーブル・ド・コーマルタン夫人(へべとして)」(一七五三)ジャン=マルク・ナティエ(一六八五‐一七六六、フランス)
「ある紳士の肖像」(一七六二)ポンペオ・バトーニ(一七〇八‐一七八七、イタリア) ほか)
十九世紀後半から二十世紀始めにかけて―フランス、なかでも華のパリにあっての印象派やポスト印象派(「シコー嬢」(一八六五)ピエール=オーギュスト・ルノワール(一八四一‐一九一九、フランス)
「アゴスティーナ」(一八六六)ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(一七九六‐一八七五、フランス) ほか)
著者等紹介
松岡將[マツオカススム]
1935(昭和10)年2月7日、北海道樺戸郡月形村宇知来乙(母の実家)生まれ。当時父は、全国農民組合北海道聯合会執行委員長で、北海道上川郡剣淵村在住。生後2ヵ月ほどして父母に伴われて剣淵村へ。一年ほどして、旭川にうつり、4歳まで旭川にて過ごす。のち、東京、仙台、三条(新潟)をへて、1941(昭和16)年6月、父の勤務に伴い、渡満(関東州大連へ)。小学生時代を大連で1年、新京(現長春)で4年過ごし、終戦1年後の1946(昭和21)年9月、満洲(新京)から葫蘆島をへて父の郷里仙台に引揚げる。仙台にて東北学院中・高校を経て、1958(昭和33)年3月、東京大学経済学部を卒業し、同年4月、農林省入省。省内各局えお経験して、1972~76(昭和47~51)年の4年間、外務省に出向し、在ワシントン日本国大使館勤務。1976年7月に帰国後、食糧庁、農蚕園芸局、構造改善局、経済局、大臣官房等を経て農水省国際部長、東海農政局長を歴任して1986(昭和61)年退官。その後、ジェトロ、国際農業交流基金、FAO協会、IFPRI(国際食料政策研究所)等、内外の国際農業関係団体・機関に役員として勤務(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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