アナ・ボル論争

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  • サイズ B6判/ページ数 375p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784886835659
  • NDC分類 309.66
  • Cコード C0036

内容説明

美を乱調に求める大杉栄。運動の方向転換を説く山川均。大正期に熱く闘わされたアナ・ボル論争の全論文を収録。その現在的な意味を読み解く解説「アナ・ボル論争再見」、宮崎学のアナ・ボル論「アナ的ボルとボル的アナ」を付す。

目次

山川均のアナルコ・サンディカリズム批判(労働組合の進化と職分;普通選挙と無産階級の戦術;全国的総同盟と私の希望 ほか)
大杉栄のボルシェヴィズム批判(労働運動の精神;最近労働運動批判;知識階級に与う ほか)
アナ・ボル論争再見―日本左翼の体質を考える原点として(いまアナ・ボル論争を読み直すことの意味;アナ・ボル論争の時代的背景;アナ・ボル論争前史 ほか)

著者等紹介

大杉栄[オオスギサカエ]
1885~1923。香川県丸亀に陸軍軍人の長男として生まれる。名古屋陸軍幼年学校で上官に反抗して放校。東京外語学校在学中、幸徳秋水らの平民社に加わり、電車賃値上げ反対運動、赤旗事件などで数回投獄された。大逆事件後の「社会主義冬の時代」には、文芸・思想界の近代的自我覚醒の思想を批判しつつアナキズム思想を独特の形で深めた。また、個人の創造本能にもとづく労働者の自己解放の運動として労働運動をとらえ、日本のアナルコ・サンディカリズム運動の思想的指導者となった。その思想には、ヨーロッパのサンディカリズムやアナキズムの移入にとどまらない独自の深みがある。1923年、関東大震災の混乱の中で、憲兵大尉甘粕正彦により殺害された

山川均[ヤマカワヒトシ]
1880~1958。岡山県倉敷の旧家に生まれる。同志社大学在学中にキリスト教を通じて社会主義に接近し、1906年、日本社会党に参加。幸徳秋水のアナキズム的直接行動論に賛同し、アナルコ・サンディカリストとして活動、赤旗事件などで数回入獄する。大逆事件後、郷里に帰るが、1916年に上京して売文社に入ってからは、社会主義運動の中心的理論家として活躍した。この間にマルクシズムに転向、ボルシェヴィキ派の指導者となった。1922年、日本共産党創立に参加したが、福本和夫らとの対立から党を離れ、雑誌『労農』を拠点とする労農派の中心となった。1937年、人民戦線事件で検挙。第二次大戦後は、日本社会党結成に参画、社会党左派の理論的指導者として活動した

大窪一志[オオクボカズシ]
1946年生まれ。東京大学哲学科卒業。実存哲学専攻。在学中は共産党員として活動。編集者を経て著述業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

スズキパル

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資本主義の攻勢に対抗する「理論」として、労組の自由連合主義に対する、集中的合同主義の優位を解いた「ボル」としての山川と、労働者の自発性と自治を最重視し、知識人のウエメセを非難する「アナ」としての大杉の対立。結局アナ・ボル論争ってのは、どちらの「理論」が優れているかの「論」争だったんじゃなくて、革命において理想状態や理論(方法論)を重視するか、精神や人間の自己陶治を優先するかっていう、もっと根源的な論争だったような印象を受ける。ボルの末裔としての日本の左翼が滅んだ今、「アナ」を再評価する大窪氏の考察も鋭い。2013/03/04

yagian

0
山川均みたいにボルシェビキやコミュニストって個人としては真面目ないい人は多いんだけど集団となると怖いんだよなぁ。私自身の主義としてはアナキストの大杉栄に近いし、彼の言いたいこともよくわかるけど、政府やボルシェビキには勝てそうにもないのが寂しい。「信者のごとく行動しつつ、懐疑者のごとく思索する」大杉栄2012/06/17

産廃屋

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編者解説が、山川均についての鋭い指摘を含む。2008/10/09

nzmnzm

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面白かった2008/09/08

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