目次
第1篇 日本国体学の創唱(田中智学の国体明徴史(序分時代;正宗分時代;流通分時代)
田中智学の国体学説(総論;国体学説))
著者等紹介
里見岸雄[サトミキシオ]
明治30年3月17日、田中智学先生(国柱会創始者)の三男として東京本所横網町に生まれる。大正9年早稲田大学哲学科卒業。同11年英・独・仏に遊学。同13年帰国後、兵庫西宮に里見日本文化学研究所を開設。同15年機関誌「日本文化」創刊。昭和3年国体科学連盟を結成。同4年機関誌を「国体科学」と改題。同7年研究所を京都吉田に移し国体主義同盟を結成。同11年2月11日、日本国体学会を創立。東京武蔵野に研究所を移転し、機関誌を「国体学雑誌」と改題。同16年立命館大学法学部教授に就任(憲法担当)するとともに報知新聞客員。同17年法学博士の学位を受く。立命館大学に国体学科が創立され主任教授。同26年機関誌を「国体文化」と改題。同27年憲法改正運動を全国展開。同31年(宗)立正教団創立。同33年大日本国憲法案を発表。同44年新研究所の建築落成。同49年4月18日、日赤病院にて太寂。世寿78歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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