内容説明
生と死と宇宙についての深遠な対話が、チベットの少年僧ロブサン・ランパと、師ラマ・ミンギャール・ドンダップとの間で交わされ、また超能力を含めた数々の不思議な物語が展開されていく―。
目次
1章 ラマ・ミンギャール・ドンダップ
2章 ポタラ宮
3章 国家神託
4章 隠者・老ウーシー
5章 古代の洞窟
6章 スパイ事件
7章 幽体脱離
8章 医学ラマ
9章 性と宗教
10章 夫婦
11章 色
12章 日本僧の死
著者等紹介
ロブサン・ランパ,T.[Lobsang Rampa,T.]
チベットの聖都・ラサのポタラ(ダライラマの宮殿)近くのショル村に生まれたようである。父母ともにチベット有数の大貴族の家系で、父親は国政に影響力を持つ政府首脳の高官だった。ロブサンには兄と姉がいたが、兄は7歳になる前に死去、彼は当時4歳だった。幼児期の世話係は、カム(東部チベット)出身のツウじいやに任されていた。そしてロブサンが7歳の誕生日を迎える直前に、占星僧によって将来の方向が提示される。それに従い、チャクポリ医学僧院へ7歳で入った後、ラマ・ミンギャール・ドンダップの指導のもと、生来の超能力に一層の磨きをかけ、8歳のときに「第3の眼」の手術を受ける。12歳で医学僧、16歳でラマの資格を得るが、それ以前にも8歳の頃より、たびたびダライラマに謁見したり、ラマと同等の待遇を受けたり、14歳で大僧正になったなどとも書かれている。『古代の洞窟』は、『第三の眼』では表面的な記述で素通りした箇所や、まったく描かれていない、少年僧ロブサン・ランパと師のラマ・ミンギャール・ドンダップとの間に交わされる、人間の死生観、東西の文明論、また宇宙意識が深遠な思想として語られているが、彼の経歴については前著においても、チベットを旅立つ前の時点で物語は終わっている。著者ロブサン・ランパのその後の足取りについては、彼が寄稿したとされる「日本語版あとがき」を参考にしたい。それによると、彼はチベットを去ってから、中国の重慶に行き、同地で学び医学博士と理学博士の称号を得て、さらに飛行機の操縦術を学び実際に軍用機を操縦した。1937年に日本軍の上海侵攻が開始されると、中国空軍の軍医大尉に任命され、翌年に日本軍により撃墜され捕虜となった。3か月後に脱走してチベットに戻ったが、ふたたび中国空軍に復帰し、またもや日本軍に捕えられる。拷問と脱走を繰り返すうち、1944年には日本の広島に近いキャンプに収容された。広島の原爆投下の大混乱の中を脱走し、漁船を盗んで朝鮮の海岸に上陸。ウラジオストックからシベリア鉄道でモスクワへ辿り着いたが、スパイ容疑で逮捕された後に国外追放となり、ポーランドで釈放された。その後、ポーランドからドイツを経て、フランスのシェルブールから船に乗り込み、アメリカに渡った。ニューヨークで幾つかの職を得て働いたが、1951年にイギリスに向かい、そこで自叙伝を書くことを勧められ『第三の眼』を執筆する。以上がロブサン・ランパ自身による略歴の紹介であるが、1956年、ロンドンのマルチン・セッカー・アンド・ワーバーグ社から刊行された同書は世界的な大ベストセラーとなって、あまりの多額の印税収入のほか、マスコミ・ジャーナリズムもこの謎の男の正体を暴こうと躍起になり、ついには詐欺師、ペテン師のレッテルを貼りつけた。ロブサン本人は、マスコミの追及に嫌気がさし、出版社の忠告を受け入れてカナダに移住したが、1959年以降もロンドンの出版社からは、『金星への訪問』ほか十数冊が彼の名で出版されている
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