内容説明
新聞記者をめざす諸君へ!読者のみなさんへ!知ってほしい投稿の楽しさ、取材のウラ話など、身近な新聞の楽しみ方と記事の書き方。
目次
第1部 投稿の必要性と実践(大切にしたいやしの実一つ;教室の授業変える「土曜科」 ほか)
第2部 恭子の青春PART2(鳥影社の校正ゲラは二通作成される;寒巌禅師発願文 ほか)
第3部 折々の記平成十一年版(おじいさんと孫;熟年女性の強さ ほか)
著者等紹介
鈴木史朗[スズキシロウ]
愛知県東加茂郡旭村出身。村立旭中学校時代から「事件記者」となる決意をして私立豊川高校に進学。高校在学中から豊橋市前畑町にあった「東愛知新聞」に新聞記事を書いた実績から東愛知新聞への入社を果たす。しかし記者クラブへの加入が認められなかったことから日本の「記者クラブ制度」そのものに疑問を持つ。昭和45年5月、豊橋市八通町で発生した「母子三人殺し事件」(殺人・放火)では捜査段階での報道こそ出遅れたものの容疑者が逮捕され送検、名古屋地方裁判所豊橋支部へ起訴されると記者クラブに所属していないことから独壇場となり、法廷内で検察側と弁護側で闘われる一問一答を遂一報道に努める一方、私選弁護人・郷成文弁護士(名古屋・丸の内法律事務所)から要請の資料提供に協力するなど、側面から弁護を支援した。「東愛知新聞」の裁判報道を読んだ読者の中から「被告青年を救う会」が結成され市民運動が起こった。「死刑」の求刑に対して名古屋地裁豊橋支部がだした判決は『被告人は無罪』だった…。東愛知新聞社が新社屋に移転後は新聞の表舞台には立たない「整理記者」に徹し社会面の大胆なワイド紙面を展開、東三河地方での水源である宇連ダムの貯水量を一目で表示した「宇連ダム情報」を常設するなど新聞紙面のビジュアル化をリードし活躍していたが、平成元年4月脳卒中発病により休職、週二回のエッセイ「折々の記」をはじめ「号外記者」「第8号輪転機を回せ」などの著作を発表
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