ユーラシア・ブックレット
ウラジオストクの日本人街―明治・大正時代の日露民衆交流が語るもの

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  • サイズ A5判/ページ数 63p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784885955525
  • NDC分類 334.429
  • Cコード C0336

内容説明

一般にはあまり知られていない、極東ロシアの都市ウラジオストクと日本との交流について、当時の居留民が残した日記等の資料も交えながらその具体的な情景を紹介。

目次

第1章 ウラジオストクの成り立ち
第2章 ウラジオストクへ渡った日本人
第3章 ひとつの事例、堀江直造の足跡
第4章 日本人社会の終焉―居留民の撤退

著者等紹介

堀江満智[ホリエマチ]
1940年京都生まれ。1963年同志社大学文学部英文学科卒業。1963年~90年京都市立中学校教諭。1990年~大正10年に堀江直造が建てた自宅(登録有形文化財)を使いB&B Horieを主宰。「関西日露交流史研究会」運営委員
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

マリリン

35
かつて浦潮とよばれ日本人が渡航し、ロシア、中国、朝鮮の人々と交流していたウラジオストク。1922年に殆どの日本人が引き上げたが、浦潮本願寺や露国後任の日本人小学校がありロシアの祝祭日にはロシア国家を歌い、街を行進したという。医療、商売やサービス業等も交流があった良好な関係を破局に導いた経緯の一端を垣間見た。シベリア出兵反対の下で、北の地の日本人はいつも国策に翻弄されている。戦争の犠牲になった。無理やり内政干渉し戦争をした日本。読んでいてこの国の現在も変わらぬ体質を感じた。桐山氏の『パルチザン伝説』を想う。2023/04/11

たぬきのしっぽ

2
ロシアが近い国ってあまり思ったことなかった。せいぜいサハリンくらい。でも、ウラジオストクがどこにあるか見てみたら、戦前の日本人が近い移住先として選んでいたことがよくわかる。北朝鮮のすぐ上なんだね。ウラジオストクの日本人移民の特徴は、満州やブラジルが国策としての農業移民だったのに対して、個人による商業移民だったこと。つまり今風に言えば民間の国際交流だったわけだ。それが、シベリア出兵以降ほぼ途絶えてしまう。国と国との関係によって、振り回され左右される。民間レベルの交流の限界と可能性が描かれていると思った。2013/06/14

しえろ

1
日本人がこれだけ移り住んでいたとは思ってなかった2012/07/05

紙魚

1
ウラジオストクにて商店を経営していた祖父の事例を核に、短い期間ながらも確かに存在した、日本人社会について。感想が多く、くだけた感じではあるが、親類のこととなれば感慨一入も当然か。隣国でありながら、沿海州の経済規模や日ソの敵対関係があいまって継続的発展がなされなかったのがやはり悔やまれる。2009/08/19

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