出版社内容情報
1930年台湾霧社で起きた事件の山地人セイダッカ族の一大叙事詩!
1930(昭和5)年10月27日未明、台湾のほぼ中央部山間にある霧社(現・南投郡仁愛郷)で起きた山地人セーダッカ族による抗日蜂起。この日、日本の圧政に抗してセイダッカ6部落300人が蜂起し、合同運動会を準備していた霧社と周辺の駐在所、日本人宿舎、民家を焼き払い、日本人134人を殺した。ただちに日本は軍隊を出動し、徹底的に討伐した。それは日本側では「植民地史上中外にたいする-大汚辱」とみられたが、山地人からみれば「抵抗史上記念すべき金字塔」になる。それに続く第二次霧社事件は、「以夷攻夷」のごとく日本に味方した山地人による報復で蜂起山地人のほとんどが殺された陰謀事件であった。その後、わずかの生き残りを「川中島」(現・清流)へ移し、「大東亜戦争」では高砂義勇隊となって青年たちは太平洋に散った。
証言 霧社事件 アウイヘッパハ
一 タナハ・トノフンー悪い日本人ども
姉妹ケ原のだまし討ち
虎に監視された生活
強制された出役に喘ぐ――霧社事件の前夜
二 ジャングルのなかの抗日戦
10月27日の血祭り
霧社台地の戦い
タロワン台地の戦い
クルフカッフルの戦い
ルクダヤの戦い
マハワンの戦い
ブットツの戦い
タロワン指揮部攻略
ハボン渓の戦い
プラズの戦い
三 誇り高きセーダッカ
タウツアの襲撃
川中島への移住
座談会 私の霧社事件
――アウイヘッパハ・林光明・許介鱗
長い沈黙のあとに
理蕃政策下の犠牲者
質の悪い日本人警察
蜂起計画はあったか
総頭目モーナルーダオのこと
蜂起の日では
漢民族は殺さなかった
花岡一郎・二郎のこと
アウイ生死間際の体験
収容所襲撃事件
経済動物の原型
川中島への移住
白虎隊計画
生きのびる辛さ
毒ガスは使用されたか
「高砂義勇隊」
解 説 許介鱗
抵抗の魂―「人間宣
一冊の本を、しかも歴史の試練に耐え得る本を目指して世に問うまでには、なんともまあ苦労することか!
霧社事件関係の書物は、日本では数多く出されている。だが山地人の目から見れば、それらは「文明人」の装いをした者どもの、優越と偏見にみちた物語だった。同情的な人たちでさえ、純真な山地人が血と涙で綴った記録をそのまま発表させようとしない。
アウイヘッパハから原稿を手渡された時、私は責任の重大さを感じた。生身の山地人の、しかも抗日の記録を、右傾化した日本の出版界に、一つの作品として初めて登場させることは、艱苦の作業だったからである。「くさのかぜ」の便りが、草風館から届いた。解説をつければ出版するという条件だった。そこで、私は台湾総督府の『理蕃誌稿』を第一の手掛かりとして、日本統治者と山地人抵抗側の両方の論理を解明することに心力を尽した。
日本における少数民族アイヌに関する書籍を出版してきた草風舘は、私の作成した解説を読んで、「アイヌも、台湾の山地人がやられたのと同じ手法でやられたんだな」と領いた。アイヌのことはよく知らないが、これは世界の「文明人」が「未開人」をやっつける共通の方法なのかも知れない。