聞書水俣民衆史 〈第3巻〉 村の崩壊 (2版)

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聞書水俣民衆史 〈第3巻〉 村の崩壊 (2版)

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  • サイズ A5判/ページ数 282p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784883230327
  • Cコード C1022

出版社内容情報

第三巻「村の崩壊」1925~1937年頃
▼工業化がもたらしたものは、賃労働の一般化、つまり村の貨幣経済化だった。かつての藩境の村も、オイチニ! という日本資本主義の行進の後尾についたのだ。
▼まず、人々の生活が向上する。その分、冠婚葬祭が派手になる。民衆の足は、共同体に立っているので、親戚内の義理が増大する。周知のように、血縁は、共同体の最深部の紐帯である。狭い村の中で血縁は折り重なり、血は凝縮する。
▼村の中では、田畑がないために分家することができなかった貧農の息子も、銭を稼いで独立できるようになる。一方、上農の間を放蕩熟が支配する。何しろ金があれば、何でもできるのだ。先祖代々しがみついてきた田畑も、実は売ることができるのだった。村の階層は激変し、土地は離合集散する。地主も、遊興、政泊、事業の失敗などで、総潰れに近い状態になる。生き残った地主がお山の大将になり、工場との間に権力争いが起き、やがて妥協が成立した。
▼物事には表裏がある。民衆にとつて貨幣経済とは何であったかと問題を立てれば、当然逆の命題が生まれる。光の当たり方により、違った図柄になる子供の玩具絵と同じように。村を工業化した工場の技術は、大正末

一 地鳴りが聞こえる――共同体と貨幣経済
  共同体の紐帯
   開いて結んで――血縁の変化●義理の増大/血縁   の凝縮
   夜這いと結婚の分離●嘘八百並べて/女に子供が   できると
   私たちの結婚●「嫁御見」に来らった/金の糞
   結んで開いて――地縁の変化●五人組の末裔/家   建て・萱葺き/死者は部落に属す
  村で生きていける戸数
   水俣で一番豊かな村●深川村の見取図/明治・大   正の戸数増加/昭和はじめ頃の賃稼ぎ/昭和20年   までの戸数増加/まとめ/深川小学校百周年記念   誌
   山仕事●出しごろと牛車曳き/山の河童 
二 女買い――持てる者の貨幣経済
  放蕩狂時代
   村を走る狂気●荒使いが始まつた/嫁御もらうよ   り買うた方がいい
   二代にわたる女遊び――元士族の場合●じいさん   ――田畑を抵当に入れて/親父――財産を売り飛   ばして
   長兄のドンチャン騒ぎ――元庄屋の場合●自動車   と芸者/一駅員の分際で!
   私の放蕩――ある上百姓の場合●女郎屋の面白さ   /担保設定通知/放蕩者の心理
  没落の唄
   小地主>  異境の住人たち 
   勧進がゾロゾロ●馬車立場と勧進/ウラの村の勧   進/三五郎どん/勧進小屋を焼く/勧進の笑い話
   神経どん列伝
   アチャ物語●アチャとアチャの子/どん底と想像   力
   村を向いて拝め
   泊めてくれる家●うちさン来んな/かわいそうと   思う心
四 木枯らしの果て――流亡と戦争
  国内への流亡
   地主支配の村●薄原村/焼畑/流亡
   因果●葛渡村馬淵/椿の花とアイスクリーム/ヤ   ツボと私
   炭坑●多かった水俣者/彼女/死
   ある女衒の回想●浮かぷ瀬はない/料理屋見晴/   女衒になる
   「ミンナゲンキ」●子供の売り買い/お願いしま   す
  植民地への流亡
   おふくろの一周忌●人間の油/河川工事/水俣で   は食や得ずに
   朝鮮から水俣へ●朝鮮人土方/深川村の朝鮮人
   水俣から朝鮮へ●一大センセ-ション/流亡のハ   イウェイ
  ここはお国を
   張学良との戦争●熱河「討伐」/北平のすぐ傍ま   で
   泥沼●大陸の奥探く/点の戦争の特徽/日本に帰   る道
   青年の居ない村●

西日本新聞 1990.10.17
日本の近代とは何であったか    岡本 達明
20年かけて歴史の根を掘り続けた
全5巻の刊行を終えて
(前略)
6つのテーマで
1971年、私は松崎次夫(水俣工場の労働者だった)と2人で、意を決して長い一連の聞書に着手した。水俣中をくまなくまわり、村の古老たちや、かつての職工たちを訪れた。天草に渡り、必要とあれば東京にでも、どこにでも行った。私たちのたてたテーマは6つあった。1つのテーマを解くためには、100人前後の民衆の話を聞く必要があった。膨大な量のテープを文字に直し、粗編集するのに、2年半かかった。6つで、のべ約600人、のべ15年以上。おお、なんたる馬鹿。他に何もできぬ。だが民衆の話は、否応なしに、私たちをのめり込ませていく力を持っていた。どのテーマをとってみても、発見性に満ちていた。そして、語り手は高齢であり、どのテーマも解くべき最後のチャンスだった。私たちは、墓場の前で網を持ってかけまわっている、物語の採集人に似ていた。仕事が進んでいくにつれ、自分たちのしていることは、民衆にとって日本の近代とは何であったかを、深く掘り下げて「く作業に他ならネいことに気が

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