出版社内容情報
ソ連からモンゴルに送られたおよそ1万2千名の日本人捕虜が都市建設の労働力として過酷な日々を過ごすことになった背景を探る。ソ連は対日戦で60万人の日本軍捕虜を獲得し,その中から1万2000人がモンゴルに送られ、ウランバートルの都市建設の労働力などとして過酷な日々を過ごすことになった。捕虜がモンゴルに送られた背景、そして過酷な日々の実態を明らかにする。
ボルジギン・フスレ[ボルジギン フスレ]
(呼斯勒/Husel Borjigin)
昭和女子大学人間文化学部国際学科教授。
北京大学哲学部卒。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了,博士(学術)。内モンゴル大学芸術学院講師,東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員などをへて,現職。
主な著書に『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945?49年)―民族主義運動と国家建設との相克』(風響社,2011年),編著『20世紀におけるモンゴル諸族の歴史と文化―2011年ウランバートル国際シンポジウム報告論文集』(風響社,2012年),『国際的視野のなかのハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社,2016年)など。
内容説明
ソ連は対日戦で60万人の日本軍捕虜を獲得し、その中から1万2000人がモンゴルに送られ、ウランバートルの都市建設の労働力などとして過酷な日々を過ごすことになった。捕虜がモンゴルに送られた背景、そして過酷な日々の実態を明らかにする。
目次
第1章 モンゴル人民共和国による日本人捕虜の労働力の獲得とウランバートル市建設
第2章 スターリンはなぜポツダム宣言第9項を破ったのか
第3章 粛清、戦争、動員、戦後国家建設―日本人のモンゴル抑留の背景
第4章 モンゴルにおける日本人捕虜―ソ連抑留より短期間だが、苛酷だった?
第5章 日本人抑留者のモンゴルへの移送についての再検討
第6章 モンゴル・日本両国の関係とモンゴルに残された日本軍将兵の遺骨について
第7章 ソ連時代のブリヤート・モンゴルにおける「シベリア抑留」―1945~48年
第8章 「日本人」として処遇された朝鮮人―韓国における資料収集の現況
第9章 ソ連抑留1年目の日本人捕虜の高死亡率の原因とソ連政府の対策―ハバロフスク地方を例に
著者等紹介
フスレ,ボルジギン[フスレ,ボルジギン] [Husel,Borjigin]
昭和女子大学人間文化学部国際学科教授。北京大学哲学部卒。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。内モンゴル大学芸術学院講師、東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員などをへて、現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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