出版社内容情報
「ラテン・アメリカ文学史上、最重要作家」とニューヨーク・タイムズが絶賛したブラジルの最大の作家の待望の長編ついに本邦初登場!
本書は、シェイクスピアの『オセロー』を彷彿とさせる作品で、妻と親友の不義によって、主人公の「ドン・カズムーロ」(陰気な男)と呼ばれる主人公が嫉妬で懊悩する青春の日々描くマシャードの最高傑作である。「マシャードは、密通の問題以上の重たいテーマをこの小説において読者に示した。それは、病的なまでに嫉妬する主人公ベンチーニョの懐疑心や不信感が、自身の人生に招来する惨めであわれな結末である。……マシャードは、シェイクスピアの『オセロー』と較べてみても遜色のない名作中の名作を小説のかたちでブラジルの地に残した」(解説・田所清克)
著者等紹介
伊藤奈希砂[イトウナギサ]
1968年4月、大阪府生まれ。ブラジル国立フルミネンセ大学文学部公費留学を経て京都外国語大学大学院修士課程修了。現在はブラジル民族文化センター主任研究員、翻訳家、専攻はブラジル文学
伊藤緑[イトウミドリ]
1972年2月、大阪府生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。現在は家事、育児の傍ら翻訳業に従事。翻訳フリーランサー、専攻は文化人類学
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
296
19世紀ブラジル文学。「ドン・カズムーロ」は陰気でメランコリックな男といった意味であるらしい。たしかに、冒頭に書かれた全く同じ仕様の2件の家といったあたりから、語り手(サンチアーゴ)のやや常態ではない執念がほの見えるようだ。小説の構造は、30数年前(主人公が15歳)の時から現在までを回想し、語り直す(書く)ことによって自己の生の意味を問い直すものである。しかし、自己の生を再び生きることは、苦悩の増幅に他ならない。すなわち、それこそが「カズムーロ」たる所以なのだろう。漱石の『こころ』をふと想起する小説だ。2016/12/18
まふ
96
「ブラジルの漱石」と称される国民的作家の代表作だそうだ。全体は148章に別れており一気に読める。幼ななじみのベントとカプトゥーは種々の困難を克服して結婚する。ここまではおとぎ話のような展開である。だが念願の子供が生れた時点から怪しげな記述が増えてゆき。親友エスコバールが亡くなった時点で事態は急転する・・・。当初はラテンアメリカの作家に特有の「におい」を予想しつつ読んだが、きわめて素直でわかりやすく、かつ小説全体の構造も平易であり、気に入ってしまった。他の作品も読みたい。G1000。2023/08/18
NAO
64
この作品は、妻の不貞を疑う夫の苦悩を描いているという点で、『オセロ』とよく比較されるそうだ。本文中にも、『オセロ』に関する言及がある。ベンチーニョとカピトゥーの恋愛に温度差があったのは、間違いないようだ。ベンチーニョの異常なまでの嫉妬の原因の一つは、その温度差だった。カピトゥーを信じられなくなったのも、その温度差ゆえだろう。カピトゥーの不貞については、意見が分かれているらしい。カピトゥーはベンチーニョと結婚するため彼に媚びを売り彼を籠絡したが、本当にベンチーニョを好きだったかどうかはよくわからない。⇒2021/12/23
のうみそしる
3
孤独な男の一人称回顧録。常に読者諸君を 意識して前置きや保険が多いのだが、それもベンチーニョの性格を表している。「残りのことについてはここでは話すまい」と言ったそばからはじまるその関連エピソード。短い章で区切るこの手法、ヴォネガットは彼に影響された……? 結末に至るにつれて、語り手の暴走が始まる。あとは、作者の博覧強記っぷりに多少うんざり。2018/05/21
takeakisky
1
屈折と奔放さのどちらもを感じさせるカピトゥー。それは知性の表れでもある。不可思議であり、理解をこえた叡智でもある。一方、ベンチーニョ。語りの抑制のされた饒舌さ。そこから見えるのは、常識家であるようで過度なロマンティスト。深すぎる愛が疑念を誘い、そこから逃れられなくなる。オセロの単純でありながら複雑であるのとは逆さまに複雑でありながら単純。ここにはイアーゴーはおらず、ただベンチーニョが一人いるだけ。生き続けるベンチーニョ。であればデズデモーナは。非常によくコントロールされた一篇。練りに練られたオセロのネガ。2024/07/31