目次
1 人として生まれたからは
2 自分を磨く勇気を持て
3 人生の宝探し
4 生かされて生きる歓び
5 生きんとする気概
6 権威を怖れるな
7 日々これ好日
8 真実を伝えるということ
9 死を見つめて生きる
10 如何に死ぬか
著者等紹介
西村惠信[ニシムラエシン]
1933年滋賀県に生まれる。花園大学仏教学部卒業後、南禅寺僧堂柴山全慶老師に参禅。1960年米国ペンデルヒル宗教研究所に留学し、キリスト教を研究。1970年京都大学大学院博士課程修了。元花園大学学長、文学博士、現禅文化研究所所長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
紫羊
20
禅の教えと美しい写真のコラボが素晴らしい。高邁な哲学ではなくて、身近で人間臭い内容だったので、禅について無知な私にも親しめた。起承転結の結が、思わず「え、それ?」と言いたくなるような不思議な文章が沢山あったのも、禅問答を挑まれているようで楽しかった。でも謎は今も解けないまま…2015/12/30
テツ
18
自分という存在について考えたときに、世界全てとただ独り対峙する自分という在り方に気づいたときに、人はようやく思索を始める。きっと誰しもが覚えのある幼少期のその瞬間を引きずり続ける人間だけが(どうやら大半の人々はそれを忘れてしまうらしい)聳え立つ信仰や哲学の山によじ登っていく。生き方と死に方。自分という存在をどう扱っていくべきなのか。この世界にぼくが生まれて瞬く間に死んでいくという在り方にどんな意味があるのか。確かに禅語の端々にはそれを解決するためのヒントが見え隠れしている気がする。2020/07/21
ほじゅどー
14
★★★★自己:「自分とは何か」「自分は何のために生まれたのか」というような課題を自覚するようになるには人生の途上において何か自分という一個の存在が根本から疑問符となるような出来事に出会わなければならない。坐禅:外界にどんなことが起こっても心を動かさないことを「坐」、内に向かって自分は何かということに心を集中することを「禅」という。無心:日本は経済大国になったが忙しい生活の中で失われたのは「豊かな心」。「忙」という字は「心を亡う」と書き、縦にすると「忘れる」という字になる。なるぼど。。。この本、写真も素敵。2016/12/07
ほじゅどー
10
★★★★凡人と聖人が同居。悟りの世界は聖も濁も併せ呑む世界。天に昇る龍がいれば地を這う蛇もいる。優れた人と困った人が同居する世界こそ素晴らしい。「清濁併せ呑む」ことは難しいことだが大事な渡世術。これが出来ないと自尊心に酔って人生の幅を狭めてしまう。花は誰の為に開くか。春になると百花が咲き乱れる。花は誰の為に咲くのか。花を知るなら一度で済む。それを毎年繰り返し見に出かけるのは一年一年と変わっていく自分を見る為ではないか。今年の花は今年の自分の姿。花の命の短さに想いをいたす。2016/12/10
ご〜ちゃん
2
ーー丈夫は自ら衝天の気有り、如来の行為に向かって行ぜずーーという心構えでいたい思った。2011/03/25
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- 和書
- 心理学の展開 (改訂)