内容説明
臨済がみんなに求めるところは、人にだまされるな、ということだ。学問にだまされるな。社会の地位や名誉にだまされるな。外界のものにだまされるな。何ものにもだまされぬ人になれ。それだけだ。鎮州臨済慧照禅師語録。この一冊の本は、ことごとく臨済和尚のハラワタから飛び出した、一句一句が天下人をして震えあがらせるようなすごい言葉ばかりだ。そういう言葉を集めた本が臨済録だ。
目次
上堂(王常侍が説法を請う;観音菩薩の正眼 ほか)
示衆(四料揀;真正の見解を求めよ ほか)
勘弁(黄檗の一転語;払子を竪起す ほか)
行録(臨済の大悟;臨済栽松 ほか)
著者等紹介
山田無文[ヤマダムモン]
1900年、愛知県に生まる。早稲田中学、臨済宗大学を経て、天龍寺僧堂にて修行。妙心寺霊雲院住職、花園大学学長、祥福寺僧堂師家、禅文化研究所所長、妙心寺派管長を歴任。1989年、遷化
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感想・レビュー
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テツ
9
知ろうとすればする程、学ぼうとすればする程、求めている何かは遠のいていく。だからといってその「無為な感じ」に完全に触れていない状態でそこに至れるのかと問われたらそれは怪しい。全てを識り受け入れた状態で、何もない状態だった自分自身に回帰すること。全てを識った上で自らが得たどんな知識や経験とも無関係な自分自身を構築すること。肝はそのあたりなのかなとぼんやりと思うのだけれど、そもそも禅は不立文字。足りない脳味噌でこうして言語化などしようとした瞬間に大切なモノは削ぎ落とされてしまう。2023/06/28
ねこさん
2
これまで、無とはトランス状態、時間と空間、主体と客体の区別を失い、世界との合一を感じることであり、さらにその神秘体験が世界観に作用した状態が悟りだとイメージしていた。今は高校生の時にムルソーと出会って意識化された問題、今この目の前にあるはずの世界に現実感を得られない空虚さ、どうすれば現実に平行して現実感を得られるのかという疑問に対する解が、この禅の思想にあるように思える。そして、今ここにある自分の内と外をよく観察し、行い、言葉、心の働きに没頭し、存在とのタイムラグをゼロにすることが無ではないか、と思う。2012/08/13
矢野善之
0
臨済宗の核心に触れる名著。 「真正(しんしょう)の見解(けんげ)」=正しいあり方がわかると、生死に染まずだ。生死は対立の世界だ。正しい見解をつかんでおけば、もう悟らんでも、そういう生死に染まるということはない。2024/06/02
katashin86
0
丸三年かけて読んだ。これからも折に触れてひもとく、座右の一冊となった。2019/09/21