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わたしは血
与えられたとせよ
著者等紹介
ファーブル,ヤン[ファーブル,ヤン][Fabre,Jan]
1958年ベルギー生れ。パフォーマンス・演劇・ダンス・オペラ・脚本・絵画・造形美術に関り、時代の尖端で深いためらいとともに鋭い跳躍を試みるアーティスト。ベネチア・ビエンナーレ、アヴィニョン演劇祭等で高い国際的評価を得る
宇野邦一[ウノクニイチ]
1948年生れ。現代の思想・文学・美術を読み解く試みに挑む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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アムリタ
13
血が語る。血が主張する。 一方で、 私は誰?私はどこ?わたしは血?私はわたし? 血と「私」は くっついたり離れたり重なったり交差したり。 天界の声を聴くヒルデガルドは言った。 「おお血の緋色、 おまえは神が触れた至高の場から流れ出た。 おまえは蛇の冷たい息に 決して犯されたことのない 花である」 わたしは夜更けに血を想う。 血が河のように流れ、泉のごとく湧出するさまを想像しながら眠った。 作者ヤン・ファーブルは「昆虫記」のアンリ・ファーブルの曾孫。2022/01/06
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6
「今はイエスキリスト生誕から/二千年である/そして私たちはあいかわらず/中世に生きている/そして私たちはあいかわらず/同じ体で生きている」2019/11/17
death.intheabandonedballroom
1
久々に言葉の力を感じる。体内が変換されるような。2011/03/09