- ホーム
- > 和書
- > 文芸
- > 海外文学
- > その他ヨーロッパ文学
内容説明
信仰の道を静かに歩む修道師のもとに届けられた、ある不可解な事件の報。それを契機に彼の世界は次第に、しかし決定的な変容を遂げる。冷酷で得体のしれない権力、謎と恐怖に翻弄されながら、修道師は孤独な闘いを続けるが…。
著者等紹介
セリモヴィッチ,メシャ[セリモヴィッチ,メシャ] [Selimovic,Mesa]
1910年、ボスニアの北東部にある町トゥズラで、裕福なイスラーム教徒の家に生まれる。ベオグラード大学で文学を修めたのち、故郷の高校で教師として勤務。第二次大戦中はパルティザン運動に参加して共産党員となり、戦後はサラエヴォ大学の教壇に立ちながら作家として活動した。1966年に刊行された本書『修道師と死』が大きな反響を呼び、ユーゴスラヴィアで最も権威ある文学賞NIN賞を受賞。1973年にボスニアを離れてベオグラードへ移住、1982年に同地で永眠した
三谷惠子[ミタニケイコ]
東京都出身。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学文学部助手、筑波大学文芸言語学系講師、同助教授、京都大学人間・環境学研究科教授を経て、東京大学人文社会系研究科教授。専攻は言語学、スラヴ語学、スラヴ言語文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
きゅー
11
2段組450頁ほどの長編。ねっとりとした文体は泥が流れるがごとくで、容易には物語を進めてくれない。なんとか第二部まで読み進めると、語り手が憎しみによって変貌する様子が凄まじくも、醜く描かれる。憎しみの渦に螺旋を描いて下降する彼の魂は、他の人々を道具のように扱い、その意図するところを成就しようとする。しかし物語が急展開を迎えるまでに、だいぶページを繰らなければならないこともあり読み通すのがしんどい一冊だった。東欧と聞くと私がイメージする諧謔はどこにも見当たらない。2014/02/20
rinakko
9
重苦しく幾度か暗澹としたが、ずしりとした読み応えは忘れ難い。オスマン帝国時代のボスニアを舞台に、イスラム修道師の手記として描かれ、苦渋に満ちた物語。罪を犯すはずがないのに、投獄された弟のこと。救出への苦心。家族の情の淡さ。イシャークと名付けた逃亡者の影。開けっぴろげな親友の存在…。やがて遂に堰を切ったように、導師のどす黒い憎しみは溢れ、育ち、膨れあがる。そも語り手アフメド・ヌルディン(信仰の光)は、なぜこれほどに孤独で、闇の中に心を隠したまま生きているのか…と、不思議だった。その答えはなかなか見えてこない2013/07/20
てれまこし
7
もう旅に出ることができなくなったからか、時々知らない時代や国の海外小説が無性に読みたくなる。今回はオスマン帝国支配下のボスニアが舞台の小説。過去に故郷を捨てて静かな信仰生活を送ってるスーフィの導師が、弟の逮捕をきっかけに政治に巻き込まれる。自分と対極の性格の友人ハサンの友情に支えられながら権力との対決を決意する。作者はイスラムの家に生れてパルチザン運動を介して共産主義者になった人。時代設定を変えてるけど、たぶん同時代の個人と政治権力との関係を描いた政治小説。加えてボスニア人という不安定な存在が扱われてる。2025/03/02
柳瀬敬二
7
オスマン治世のボスニアが舞台の小説。旧ユーゴの文壇にどれくらいの自由があったのかは分からないが、ほとんど社会主義リアリズムの匂いはしない。主人公は聖職者なのだが、信仰のためだけに生きているかと思えば別にそんなことはなく、世俗の出来事に翻弄され続ける。後半では主人公は世直しを図るが、それも良い帰結を迎えない。エピグラフには、ありきたりな「幸せを探し求める物語」とあるが、この修道師の幸福はどこにあったのだろうか。この本が書かれて四半世紀後に起きた戦争のことを考えると、それがこの土地の宿命なのだろうか…?2018/12/10
春ドーナツ
5
メモ。初めて読むボスニア・ヘルツェゴビナ文学。出版社は上記の国の小説とホームページで紹介しているけれど、厳密に言うと旧ユーゴ時代に執筆されている。前回読んだセルビアの小説もたぶん同様。「初めて読む何某国文学!」と書いちゃって語弊はないのか、実は個人的に気掛かりです。2016/10/11