出版社内容情報
各界の第一人者によるテーマごとの新しい編集。
「富士山」をこよなく愛した子規は、古典から「富士」関係の資料を蒐集して「ふじのよせ書」を自ら編集。また、晩年には興津移転を真剣に考えたこともある。さらに、静岡では、子規を慕い俳句熱も盛んであった。こういった、子規と静岡との関わり、さらに静岡での子規派の足跡を位置づけるという、新機軸の編集による巻。子規派の静岡での俳句雑誌「芙蓉」の初めての翻刻掲載、「静岡民友新聞」俳句欄の掲載など、新資料編も充実。
新字・新かな表記、読みやすいかたちで子規の言葉を味わう。
写真や図版を多用。
すべての巻に人名注を、俳句・短歌の巻には初句索引を付す。
目次
富士(「ふじのよせ書」(抄)
東洋八景「富士」
俳句分類(富士山など)
しゃくられの記
旅の旅の旅
子規「伊藤松宇 富士百句」
子規の富士百二十句
不折画・未長戯道「登嶽之記」
子規「富士山」(新体詩))
静岡の子規門(加藤雪腸・関飄雨への子規書簡;『静岡民友新聞』俳句欄;俳句誌『芙蓉』記事;「ホトトギス」所収の静岡の記録)
新資料編(俳句帳(明治二十七年)(子規のノート)
「海南新聞」記事
小遣帳(明治二十三年)(子規のノート))
著者等紹介
正岡子規[マサオカシキ]
慶応3年9月17日(1867年10月14日)、伊予国温泉郡藤原新町(愛媛県松山市花園町)生まれ。父、常尚(つねなお)は松山藩御馬廻加番、母、八重は松山藩の儒学者大原観山の娘。幼名は升(のぼる)、処之助(ところのすけ)、本名は常規(つねのり)。子規、獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)、竹の里人などの号がある。律は妹。松山中学中退後、大学予備門(第一高等中学校)、東大哲学科、後に国文学科に転科、中退。東大国文学科在学中の明治25年(1892年)、日本新聞社に入社、記者となる。20代の初め、結核にかかり、晩年は病床にあって俳句、短歌、文章の多分野にまたがる旺盛な活動を行なった。明治35年(1902年)9月19日午前1時ごろ、35歳直前で死去
和田克司[ワダカツシ]
1938年、松山市生まれ。日本文学研究。大阪成蹊女子短期大学教授・図書館館長
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