出版社内容情報
NHK労組が開催した「表現者の自由をめぐる対話」イベントのまとめ。原一男や森達也ほか映像作家ら5人による、映像における自由と責任論
1. 被写体との格闘
映画監督◎原一男
テレビドキュメンタリーに見入った青春時代
肉体の意味への問いかけ
プライベートをさらけ出す
「スーパーヒーロー」奥崎謙三との出会い
カメラを持つこと=生きること
残された究極の問い
作り手と被写体のエネルギーをめぐって
「笑い」で受け止められた『神軍』
フィルムの持つ力
個人を表出するということ
テレビに何ができるのか
インタビュー・映像制作者の伴侶
[原一男の場合] プロデューサー◎小林佐智子
2. にじみ出る「私」
テレビ・ディレクター◎木村栄文
映画監督◎原一男
表出することの意味
人間の弱さと強さ
家族を描くということ
ドラマとドキュメンタリー
若手とのつながり
切り口を模索する
人間――この複雑でいとおしきもの
インタビュー・映像制作者の伴侶
[木村栄文の場合] 主婦◎木村静子
3. 関係性を描く
映画監督◎森達也
映画監督◎原一男
プロデューサー◎安岡卓治
『A』、そして『A2』
テレビと映画における作り手の「身体性」
「続編」ということをめぐって
関わり続ける責任
「狂ィア
テレビは何を伝えたか
送り手と受け手のギャップを埋める
「メディア」はすべての人の身近にある
メディア・リテラシーの現状
地方局での可能性
「メディア」を獲得して
テレビとテレビ制作者のこれから
インタビュー・映像制作者の伴侶
[林直哉の場合] 高校教諭◎林恭子
自ら劇場に身体を運ぶ必要も、入口で対価を支払うこともないテレビというメディアには、受け手の側も送り手の側もそこで行われる「表現」について自覚的になりにくいという特徴があります。
テレビが日常に深く浸透し、手軽で身近なものになればなるほど、これと反比例するようにテレビの「表現」としての自覚は拡散し、希薄になっていきました。これはひとつ、送り手側だけの問題ではありません。ある意味で送り手と受け手が共同でテレビというものの垣根を低く、低くしようとしてきたのが、良きにつけ悪しきにつけテレビの五〇年の歴史でもあったでしょう。今後待ち受けるさまざまな技術革新も、そうした流れを加速していくことになるのかもしれません。
今日のテレビをめぐる問題の根本は、つまるところこの「表現することの自覚」という一点に尽きるのではないでしょうか。
いまだからこそ、「表現することの自覚」をあらためて考える必要がある――放送メディアで働く者の労働組合としてこの本のもとになった六名の映像制作者とのディスカッションを企画したのは、まさにそういう理由からにほかなりませんでした。ここに登場する映像の作り手には著名な映画監督もいれば、映像メ
内容説明
原一男、森達也など、6人の映像制作者が語る、ドキュメンタリーへの情熱・手法。彼らを精神的にも経済的にも支えるパートナーのインタビューも収録。映画監督、テレビディレクターたちの人間性や仕事への取り組みとともに、生き様が見えてくる。いま、“撮るとき”に何が求められているのか。その答えが見つかる。
目次
1 被写体との格闘―映画監督・原一男(テレビドキュメンタリーに見入った青春時代;肉体の意味への問いかけ ほか)
2 にじみ出る「私」―テレビ・ディレクター・木村栄文、映画監督・原一男(表現することの意味;人間の弱さと強さ ほか)
3 関係性を描く―映画監督・森達也、映画監督・原一男、プロデューサー・安岡卓治(『A』、そして『A2』;テレビと映画における作り手の「身体性」 ほか)
4 表現するという“業”―新聞記者・吉岡逸夫、プロデューサー・安岡卓治(新聞記者が「映画」を作るまで;ジャーナリストは火事場泥棒である ほか)
5 めぐりあう送り手と受け手―高校教諭・林直哉(映像制作を始めたわけ;最初の「誤報体験」 ほか)