出版社内容情報
※12人の著者陣の内容を掲載順にほんの一部転載しました。
さらにハンス・フォン・ビューローが、ヨハネの福音書の冒頭をもじって、「太初(はじめ)にリズムありき」といったとき、彼は何をいおうとしていたのか。あるいはベートーヴェンの交響曲第7番を「リズムの神格化」と呼んだときのリズムはどうか。それは何か「躍動感」「生命感」といったニュアンスを含んでいないか。
〔田村和紀夫 シンコペートしなきゃ意味がない-悠久の時を刻む生命のリズム より〕
とはいうものの、リズムという言葉が音楽的な意味合いを持ちつつも、他のさまざまな分野において使用されていることを無視することはできないのです。リズムとは時間的なながれのなかで把握されるものです。さらに空間的にも応用可能なものです。そうしたことは右に記してきたことのなかからもきっとおわかりになられたかと思います。そしてこうした諸分野でのリズムへのアプローチをわずかなりともあたまに入れておかなければ、リズムの重要性もどこかしら半端になってしまうでしょう。音楽の閉域内でだけ考えていても、リズムの謎には少しも近づけないし、そのダイナミズムには触れられません。
〔小沼純一 リズムをめぐる若干のアプローチ より〕
音楽とはつまり、人が生きるリズムの中から生まれるものでなければならないということです。なかでもリズム楽器であるドラムの演奏の中に込められている意味は大きいものだと言えます。
アフリカではドラムのヘッド(皮)は心臓、胴は循環器。皮を張る紐は神経、太鼓の中に入っている小さな木の実は魂であるといわれています。まさにドラムは人間をシンボル化した楽器なのです。
〔有賀誠門 DRUMMINGはあなた次第 より〕
大陸との交流によって音楽や仏教が伝えられた時代から、インターネットで瞬時に世界中の音楽が体験出来る時代へと変化を遂げている現在でも、私たちの血の中に、身の回りに存在し生き続けるのが日本的リズムである。
夏になると遠くから聞こえてくる祭囃子に、和太鼓の音に血が騒ぐのは何故だろう。日本のリズムを耳にしたからではないか。
〔石澤眞紀夫 リズムを中心とした日本の音 より〕
能の表現には、古代からつらなる価値観が脈々と受け継がれている。人が天と地と響き合って生きていくなかで自然に生まれてきたリズムや価値観。それは、原初の響きと言い換えてもいいかもしれない。特に打楽器である鼓の音は、生命の「鼓動」から来ているだろうし、直接身体に響くものだけに、人間の表現の原点に近いものだと思う。
〔大倉正之助 鼓動-生命のリズム より〕
小鼓と大鼓のぶつかりあいは、舞台に緊張感も与えている。アシライ鼓では小鼓を優先させるために大鼓独自の音楽的なおもしろさを抑えていた。そうすればたしかに大小のリズムはぴったりあって気持ちがよいのだが、小鼓に合わせた単純なパターンだけでは音楽構造が単調になり、表現が限られてしまう。大鼓がさまざまに手を変え、息扱いを変えることで囃子の表現が幅を広げたことも、また事実であった。
〔高桑いづみ 鼓の刻む音-音楽以上の世界 より〕
私は昔、NHKの教育番組で、謡曲「舟弁慶」の8拍8拍子のシーン、「その時、義経、少しも騒がず」以下の所を、謡楽のレコードに合わせて、スタジオに呼んだロックバンドのリズムを乗せたが、これは非常に効果的だった。流派によって大分違うだろうが、私がその時驚いたのは譜例12のフレーズだった。これはまさしくロック系のリズムである。室町の昔から、能楽の人たちは知らん顔してロック風のことをやっていたのである。
〔玉木宏樹 リズムの快感 より〕
三味線を弾くという行為は、ほとんどが皮を叩く行為です。絃を弾きつつ、強く皮を叩く。そうするとビヨ~ンという「さわり」の機能が働いて、余韻が延びて、かくも美しく気高い音があたり一面に鳴り響き渡るからなのです。その響きある音の中で弾いているときほど幸せなことはありません。
〔西潟昭子 三味線を弾く より〕
休符は音楽になくてはならないものなのである。休符の緊張感を楽しみながら、音楽を聴いてみるのも新しい発見になるであろう。音がないことは、休みではなく、最大の緊張感になる。亡くなった天才落語家の桂枝雀氏は「落語は緊張と緩和である。」といっていた。音楽も共通することが多い。
〔今井敏勝 音が甦る「リズム」 より〕
音楽の場の成立には、音楽の鳴り響きを作り出す部分が必ず存在しなければならない。そして現在、我々の最も身近なところではスピーカーやヘッドフォンが挙げられる。
しかしこれらはエレクトロニクス技術の産物であり、それが発達していなかった頃はどうであろうか。音響を作り出す源として、そこには必ずリズムを生成し、音楽を奏でる者=演奏者が存在しなければならなかった。つまり演奏者があってこそ、はじめてそこに音楽の場が成立し、そして、そこでつむぎだされた音楽やリズムは、その場限りの一回だけのものであった。
〔平田亜矢 音楽とテクノロジー・ より〕
主たるメロディーといえるものは、その音の一つ一つの間を埋める"拍"の数が増減することによって、ゆっくり(あるいは、疎)になったり、早く(あるいは、密に)なったりはするのだけれど、その"拍"は基本的に同じくらいの間隔になろうとするので、いつも、同じような(特に、音楽のその他の特徴を聞き分けるのに慣れていない耳には)、"うめつくされた"ような感じがするのである。隙間があれば、そこに入り込む、増殖を続ける音の時間。それは、季節によって衰えることなく繁茂・増殖する熱帯雨林のさまや、すきまなく点描をほどこした、ジャワのワヤンの人形や更紗(バテック)の模様の感じに、よく似ている。
〔田村 史 和する音たち-ガムランに流れる時間の成り立ち より〕
ジャン・ルソーは、拍子と並ぶ要素として「ムーヴマン」(テンポ・速度と曲想)を挙げ、「音楽の魂」であると述べている。拍子は楽譜に従って正確に守るべきものであるが、ムーヴマンには「ひらめきと良い趣味」が要求される。拍子のことしか頭にない人とムーヴマンを良く理解した人とでは、詩を「棒読みにする人と朗読する人」ほどの違いがあるという。
〔関根敏子 拍子記号とテンポ より〕