内容説明
末期の人の身体が発する無言の訴えに耳をすませば、必要な支援が見えてくる。認知症の人の看取りは悲惨ではない。延命治療によらない自然な死は、厳かで、ユーモアさえあふれている。介護の最前線から発信される、納得の看取り術。
目次
第1章 老いて死ぬことについて考える
第2章 「死に場所」よりも大切なこと―キヌさん
第3章 イースターが終わるまで死なないで―よしおさん
第4章 幸せだったのだろうか?―みちこさん
第5章 ただそこにいるだけで―三好さん
第6章 天寿全う、晴れやかに送る―八重子さん
著者等紹介
村瀬孝生[ムラセタカオ]
1964年島根県生まれ。東北福祉大学卒業。福岡県飯塚市の特別養護老人ホームに8年間勤務の後、宅老所よりあいに勤務。1996年2月より、第2宅老所よりあいの所長を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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むつこ
14
誰かがやらなきゃならない仕事の1つ。看取りに正解はないからこのような本が出ることは歓迎だ。利用者と家族と医療関係者が一体になり最期を穏やかに日々を過ごす。2014/03/10
Yuko
8
<末期の人の身体が発する訴えに耳をすませば、必要な支援が見えてくる-。老人介護現場の死を巡る問題を、宅老所よりあいの実践から考え、納得の看取り術を発信する。> 2011年 よりあいの森の現施設長。どの著書も参考になる。 村瀬さんのお話も聞きたいなぁ。講演会チェックしよう。 https://seminar.co-medical.com/detail/0006167/ あったけど、すでに予定あり・・・ 駒場苑も見学したい施設です。 2019/11/05
Koji Takahashi
8
「寿ぎが失われつつある」 天命を全うする、寿命が尽きることは悲しみだけでなく、寿ぎでもあるが、医療で意思に関係なく生かされることで失われている。それが「低下することを許さない国」日本の現状。「形式知」に捉われ過ぎている。 「施設に入った日を境に、介護者に付き添われないと社会に参加できない存在とみなされる」 住む所が変わるのではなく、社会からの扱われ方が変わるのだ。プラン通り介護される存在になるのだ。プラン通りではない「共同決定」できる存在でいて欲しい。 「介護職は真剣に嘘をつく」 折り合いのためだ。 2019/11/16
さちめりー
4
「老いて死に至るまでの身体の変容を知る必要がある」。そう、老いとか死ぬことは、怖いし見てはいけないものと感じていた。それを変えたい、もっと常識に感じたいという気持ちもあって私は介護の世界に足を踏み入れた。通いの施設なのでまだ看取りは経験したことはないが、この本を読むと自然で穏やかな看取りの様子を見せてもらえる。 「食べなくなることを認めない」介入など、現在の医療やケアへの問題提起も切実に伝わってくる。 「老いによって失った機能を他者に委ねることが人と人のつながるきっかけ」になる世界は理想的でとても優しい。2023/09/09
週末
1
看取りケアの現場の現実がやりきれない場面も、美しい場面も描かれている2021/08/26