奄美・喜界島の沖縄戦―沖縄特攻作戦と米軍捕虜斬首事件

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  • サイズ 46判/ページ数 582p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784874987728
  • NDC分類 210.75
  • Cコード C0021

出版社内容情報

本書の著者は、1931(昭和6)年の東京生まれで、太平洋戦争開戦の2年前の39年に両親の故郷・喜界島に移住します。
敗戦の年(45年)の3月から、喜界島は米軍による猛烈な空爆にさらされます。
当時、日本陸海軍は米軍の北上を沖縄で阻止するため、沖縄特攻作戦を実施しており、喜界島には九州各地から飛び立って沖縄に向かう日本軍機の「中継基地」が置かれたため、様々な陸海軍の特攻機が喜界島光吉を経由して沖縄に飛び立ちました。

米軍は喜界島航空基地(飛行場)を使用不能にするため、空爆作戦を繰り返し実施しました。
米軍の空爆は日本軍の施設だけでなく、民家も攻撃対象とされ、飛行場周辺の集落は壊滅状態となりました。
当時、国民学校高等科を卒業したばかりの著者は、家族と共に集落を捨て、ムヤ(喪屋)と呼ぶ風葬跡の残る横穴壕で暮らすことになりました。戦況が逼迫し、米軍の喜界島上陸を想定して島の内陸部の台地に数多くの横穴壕を掘り、そこに1万7000人の島民を避難させ、命令に従わぬものは銃殺だと威嚇しました。結局、予想された米軍上陸はなく、避難命令は解除されて、ムヤでの生活に戻りますが、沖縄戦が終息に向かう中で米軍機の来襲も散発的になりましたが、B29重爆撃機9機による爆撃など甚大な被害は続きました。

本書は、戦後、弁護士となった著者が、喜界島での戦争体験とは何だったのか──歴史書・戦記を渉猟し、特に斬首される直前の米軍捕虜を目撃した記憶が頭から離れないことから、この斬首事件の関係者を裁いた戦犯裁判資料を米国から取り寄せて克明に調べ上げました。

本書の特徴は2つあります。
“海の戦場”となった沖縄特攻作戦の解明と喜界島米軍捕虜斬首事件の真相追求です。
いずれも類書が少ない、貴重な記録となっています。

内容説明

沖縄特攻の前進基地・喜界島での自らの戦時下体験をもとに、厖大な資料を駆使して描き出した沖縄特攻作戦の実像!沖縄戦研究の空白を埋める畢生の労作!!

目次

第1部 特攻基地への序奏(日本海軍航空隊の揺籃期;不時着飛行場建設の謎;喜界島が経験した過去唯一の戦争―琉球王尚徳との戦い ほか)
第2部 喜界島で見た沖縄特攻作戦(近づく沖縄戦;米軍、沖縄本島上陸後の喜界島;米軍の島嶼上陸作戦と喜界島 ほか)
第3部 BC級戦犯裁判「喜界島事件」の検証(喜界島捕虜斬首事件発覚の端緒;検察官が想定した事件の骨格;裁判の立役者たち ほか)

著者等紹介

大倉忠夫[オオクラタダオ]
1931年東京生まれ。39年両親の故郷喜界島に移住。52年米軍政下の大島高校卒、留学生として上京。奄美日本復帰運動に参加。53年奄美諸島日本復帰。54年東京学芸大学中退。同年郵政省就職(郵政研修所普通部研修生、東京中央郵便局、郵政研修所外国郵便専修部研修生、横浜港郵便局、上智大学仏語科政府委託生、東京郵政局など)。62年国家公務員上級職試験(甲種法律)合格。64年郵政省退職。66年司法試験合格、69年弁護士。全駐留軍労働組合(横須賀)顧問。95年横浜弁護士会常議員会議長。90年代前半より喜界島の戦争史調査開始(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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