内容説明
廬溝橋事件から太平洋戦争をへて敗戦までの8年間、一女学校教師が一日も欠かさず書き続けた日記をもとに、手紙と慰問袋による「銃後」と「前線」との交流、出征兵士の見送り、空襲下の「御真影」奉護など、戦争に翻弄され、逆にまた戦争を下支えした民衆の姿を、等身大のリアルさで描き出す。
目次
1 日中全面戦争に突入する―昭和一二(一九三九)年
2 中国戦線の拡大と「銃後」―昭和一三(一九三八)年
3 泥沼化する戦争、窮迫する国民生活―昭和一四、一五(一九三九、四〇)年
4 日米開戦、緒戦の勝利と戦局の転換―昭和一六、一七(一九四一、四二)年
5 不安と疑問の霧につつまれて―昭和一八(一九四三)年
6 敗色深まり、空襲はじまる―昭和一九(一九四四)年
7 敗戦への道、空襲の日々―昭和二〇(一九四五)年夏まで
8 敗戦の秋、天皇崇拝だけは残った―昭和二〇(一九四五)年8~12月
著者等紹介
津田道夫[ツダミチオ]
本名、浅見浩。1929年(昭和4)年、埼玉県幡羅村(現深谷市)に生まれ、32年、家族と共に久喜町(現久喜市)に移る。現在も久喜市に在住。1942年、埼玉県立浦和中学校入学、47年、同校を卒業して気象技術官養成所(現気象大学校)に入所するが、49年、新たに東京教育大学文学部史学科に入学。53年、同大学を卒業して改造社に入社、雑誌『改造』編集局に配属されるが、同年12月、肺結核により滝野川病院に入院。55年1月、同院を退院するも改造社は倒産。その後、編集・校正のアルバイトをへて57年より日本生産性本部出版部に勤務。60年、同部を退職した後は、マルクス主義の理論同人誌『現状分析』(57年以後)を主宰しながら著述活動に専念。71年には「障害者の教育権を実現する会」の結成に参加、今日まで事務局員を務める。05年、「九条の会・久喜」の結成に参加(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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