内容説明
昭和24(1949)年、戦後まもない博多・中洲の小さな食料品店「ふくや」で、その歴史は始まった。今や全国の誰もが知る博多名物・明太子を世に出み出した男の、味の完成までの格闘や生きざま、そして経営哲学を、社員第一号である息子が綴る。
目次
第1章 明太子づくりへの執念(博多土産の定番、辛子明太子;川原俊夫、釜山で誕生;明太子の出発点 ほか)
第2章 川原俊夫の遺言(「儲かってどうするとか」;「値段より質にこだわれ」;「卸売りはするな」 ほか)
第3章 ふるさとへの恩返し(中洲の日蓮さん;博多祇園山笠;ふるさと中洲のまちづくり ほか)
著者等紹介
川原健[カワハラタケシ]
株式会社ふくや取締役相談役。昭和18(1943)年7月、満州・新京生まれ。昭和37(1962)年福岡高校卒。昭和41(1966)年慶応義塾大学法学部卒。同年4月福岡相互銀行(現西日本シティ銀行)入行。同行の研修部長を経て昭和58(1983)年12月に退職。翌年1月ふくや専務取締役、平成6(1994)年4月から代表取締役社長を務めたあと、平成9(1997)年1月、ふくや代表取締役会長に。平成21(2009)年から現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Yuichi Yamasaki
9
朝鮮語でスケトウダラを明太(ミヨンテ)といい、この卵を明卵(ミヨンラン)と言った。これを塩辛類の総称(ジョッ)で漬けた明卵ジョッ。塩をまぶして半日おき、刻みニンニク粉唐辛子で味付けし熟成させたもの。今でも韓国で売ってる。釜山で生まれて日本に戦後戻った川原俊夫はふくやを営む傍ら、満州国で食べたあの味を改良し明太子を作った。時を経て明太子が売れるようになっても、特許をとることもなく、どんどん人にも売らせていった。今の明太子が全国区にあるのはそのためだ。響いた所は、儲かってどうするとか!値段より質に拘れ!だった2015/07/07
Uzundk
8
ふくやの明太子が特産品となるまでのふくやの歴史と、ふくやの企業としての姿勢、その起源を創業者の息子が語る。そもそも明太子が現在のように認知されるまで10年近くも鳴かず飛ばず、そもそも今のように粒立ちのある食感、辛さの均一性をだすために多くの苦労があったことが伺えた。なるほど、美味しい明太子はこうして出来たのだな(ノーブランドで外れを引くことがたまにある)。いやー、しかし美味しいかどうかは言葉だけじゃわからないなー。というわけでちょっくら買ってきますC= C= C= C= C= ┌( ̄ー ̄)┘2015/05/28
ダナヲ
7
ふくやの創業とその業界への貢献は知識として知ってはいたものの、通販の立ち上げやその中での女性社員の活躍ぶり、明太子人気が拡がってゆくさま、創業者の人柄が偲ばれるエピソードなどがとてもおもしろかった。知り合いネットワークの力ほど強いものはない、強い会社•良い会社、助けておけば助けられる、商売人は消費者の代表、信用は無形の財産、そげん儲けてどうするとか…とビジネスの至言もたくさん&博多の歴史も知ることができて、勉強になりました。2013/02/08
teihen
5
よくよく、大きな苦労体験のある人間は強いと言われるが、この人はまさに。強すぎる。2015/06/15
としさん
5
一個人がここまで地域を盛り上げることに力を注ぐとは、凄いと思えるし誇らしく思える。この本で博多の歴史を学ぶことができる素晴らしい本に出会いました。ふくやの明太子が食べたくなりました。(^^)2013/08/18